【岸コラ】のホームページへ 野田佳彦 スズキのVW提携解消 【岸コラ】の目次へ

日債銀の犠牲になった二人の日銀マン

岸田 徹 【岸コラ】
2011年9月7日(水)

2011年8月30日日経新聞夕刊第1面野田首相が誕生した8月30日、国会議事堂からすぐのところにある東京高等裁判所では、裁判長が判決文を読み上げた。

「原判決を破棄する。被告人らはいずれも無罪」ーー無罪になったのは、旧日本債券信用銀行(日債銀・現あおぞら銀行)の経営者だった窪田弘元会長(80)、東郷重興元頭取(67)と岩城忠男元副頭取(73)の三人。窪田さんは元大蔵官僚、東郷さんは元日銀マンで、不良債権にあえぐ日債銀救済のために再就職したのだが、新聞では天下りと評されがちだった。

東郷さんは、判決後の記者会見で「今日の空のように、一点の曇りもない明快な判決をいただいた」(朝日新聞)と語ったが、この判決を迎えるのには逮捕から12年の歳月がかかった。逮捕容疑は、有価証券報告書虚偽記載の旧証券取引法違反だ。いわゆる粉飾決算事件だが、銀行の場合、粉飾しなくてはならない事情は貸したお金が返ってくるかどうかによるものが多い。不良債権の額を意図的に少なく見積もれば、貸倒引当金を少なく見積もれるので銀行の利益が上がり株価を高くすることができる。投資家に嘘の情報を流すことになるので、厳しく取り締まられている。

日債銀は、興銀や破綻した長銀と同じく長期の貸し付けを専門に行う銀行だった。日本の重工業界が成長したのは、長期の貸し付けを行う銀行のお陰と言われたが、国際化と自由化の進展で、大きくなった優良企業は、銀行より安い資金の調達を債券市場や株式市場から直接できるようになった。そのため、長期貸し付けをする銀行は次第に優良客が離れていく状況にあった。

伸び悩む融資に、土地がらみの融資をどんどん行うようになり、これがバブル経済を助長することにもなって、一挙に融資額が膨らんだ。ところが、これらの貸付金はバブル経済の崩壊とともに返ってこない不良債権になってしまった。

そこで、返ってこないと分かれば貸倒引当金を積むことになる。しかし、返ってくるかどうかの判断は実に微妙なところがある。極端な例をあげれば、死に体の会社であっても、融資をすればその融資金の中から利息が払えたり元本の返済が行われることはよくあることで、これを止めてしまえば、すぐにでもその会社は倒産すると同時に、銀行も貸し倒れが発生してしまう。また、融資を引き上げるタイミングも、時期を見れば半分回収できる場合もある。伝説となるような話では、苦しい時に融資をして、将来強い絆で結ばれる先だってある。

これらの判断は、まさに経営判断だ。ところが、銀行には預金者保護の観点から、大蔵省や日銀が検査に入り、危ない融資先を判定することも無視できないひとつの判断だ。さらには、株主保護の観点から、監査法人が会計基準に則り監査を行うのももう一つの判断だ。日債銀の粉飾決算事件は、経済のグローバル化に合わせ、会計基準が全国的に変わった直後に起きたものだ。そのため、旧基準の場合でも会計基準にかなった決算発表だったかどうかが争点になった。これを証明するのは非常に難しい。どの判断基準で見るかによって結果が違うからだ。

東郷さんが、バブル崩壊であえぐ日債銀に顧問として日銀から転職したのは1996年のことだった。日銀の国際局長だった東郷さんは52歳、日本の金融機関再生のために一肌脱ぐつもりの転職だった。当時は誰も日債銀を助けようと手を上げる人はいなかった。旧経営陣の暴走で、手当たり次第融資を行い、不良債権になると、その債権をペーパーカンパニーに移し、本体の健全性を合法的に粉飾していたのを金融当局が知っていたからだ。

日債銀の顧問になった東郷さんは1年後に頭取に就任。就任から1年ちょっとで中央信託銀行との合併を発表した。これが読売新聞のスクープになったのだが、日債銀が合併発表を自主的にやったのか、それとも読売のスクープに押される形で行ったのかはよく分からない。日債銀にとってはスクープが合併を後押しするとの期待が一部にはあったが、かえって中央信託銀行の結論を急がせることになり、大量の不良債権は受けられないと、中央信託は合併ではなく提携だとの発表に終始した。

合併か提携か揺れる関係に終止符を打つように、政府は日債銀を一時国有化するかもしれないと新聞に発表した。これが12月1日(1998年)、読売新聞の合併スクープの日だった。12月12日には政府が日債銀に国有化を通告。しかし、東郷頭取はこれに抗議し、政府が言うような不良債権の額はないと13日には弁明書を提出すると発表。これに対し政府は同日、当時の小渕首相の職権で特別公的管理を決定し、日債銀の全株式を強制的に国が取得すると発表した。21日には当時の柳沢金融相が日銀から新しい頭取を出すよう依頼し、25日に東郷頭取を含む12人の全取締役と監査役4人が退任した。

年が明けて、2月に東郷さんは衆議院予算委員会で参考人招致を受け、不良債権処理について自分の処理方法に間違いはなかったと説明、東郷さんの日債銀を守る姿勢は終始変わらなかった。ところが7月になって東京地検特捜部の事情聴取を受けると、7月23日夜に逮捕されることになった(1999年)。

翌年(2000年)の2月、破綻し国有化された日債銀は、ソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険の三社を中核としたグループに譲渡されることになった。これと並行して、新頭取の人選が行われ、やはり日銀出身の本間忠世・東京中小企業投資育成副社長が内定した。本間さんは9月4日に株主総会で正式に頭取に就任したが、挨拶回りに大阪出張をした20日遺書を残して自殺した。本間さんの義姉は読売新聞のインタビューに「それほど気持ちが大きな人ではないので、(頭取就任は)気の毒だとは思っていた」と答え、負担が大きかったのではないかと思われる一方、もともと日銀では人事局次長を経て信用機構局長を行い、多くの破綻した金融機関の処理に携わった後に理事になり、そのまま大阪支店長となった方で、いわば厳しい出世競争を勝ち抜いた日銀マンだ。さらに、信用機構局長時代には苦しい日債銀を救おうとした実績もある。そう柔な人ではないという観測がある。

ただ、新たに踏み出した日債銀は、非常にいびつな銀行だった。それを出資比率が物語っている。ソフトバンクが約49%、オリックスと東京海上が約15%、その他アメリカのサーベラスが約5%、同じくアメリカのパシフィック・キャピタル・グループが約4%、リーマン・ブラザーズが2.5%、以下チェース・マンハッタン、スイスのUBSが0.5%、アメリカのシリコン・バレーバンクが0.25%、日本の地銀など96金融機関が8.37%だ。利害が入り組んでいるとの批判が強かった。

さらに、日債銀の前身は日本不動産銀行で、その前身は朝鮮銀行。朝鮮銀行は日本の朝鮮半島統治時代の銀行で、朝鮮銀行が日本に持っていた資産が元になって日本不動産銀行ができた。現在は朝鮮との関係はないと言われているが、元々の資産は朝鮮が絡んだもので、深い関係があるのではないかとの憶測が常にあった。本間さんが大阪で死んだことを考えると、取引先とのしがらみも関係していたのではないかとの疑いがある。

本間さんの死後、オリックスから後任頭取が出され日債銀は「あおぞら銀行」と行名を変えて船出した。それから2年半後、ソフトバンクが持つ株式をアメリカのサーベラスが買うことになる。日債銀の破綻の前に破綻した長期信用銀行(長銀)は外資に売られ、公的資金が大量に投入され、まともになって外資のものになるのでは合点がいかないと大変な非難があった。そこで、国とソフトバンク等の投資家が結んだ契約では「長期的な視野から投資を行う」と明記されたのだが、ソフトバンクが持つ日債銀の株は2年半で外資に売られた。売買価格は約1千億円。ソフトバンクは493億円出資したとされているので、約500億円の儲けだ。

2006年にあおぞら銀行は上場を果たしたが、その際サーベラスは400億円ほど儲けたと言われ、オリックスと東京海上日動火災保険もそれぞれ約200億円の売却益を手にした(読売新聞)。日債銀の破綻には日本の公的資金が約3兆円使われた。日本国民の大量の資金で銀行が正常化され、破綻した時には二束三文で株を手にした大口投資家は、正常になると高くなった株を売って儲けるという、火事場泥棒のような結末となった。

そんな浮いた話がある中で、東郷さんらの裁判は行われていた。最初の判決は逮捕から5年後の2004年、東京地裁で有罪、懲役1年執行猶予3年だった。控訴し、次の判決は3年後の東京高裁で有罪、同じく懲役1年執行猶予3年だった。さらに控訴したところ、2009年には最高裁で東京高裁の有罪判決を破棄し、差し戻し判決が出された。東京高裁で再審の結果、今回の無罪判決となった。

最初の判決があった時の首相は小泉さんで、金融担当大臣は竹中平蔵氏だった。アメリカ式の金融機関の統治方法ががむしゃらに推進された時だったが、それを後押しする事件が起きた。例のノーパンしゃぶしゃぶ事件だ。大蔵省と日銀の検査対策のため、金融機関が検査官を過剰接待する事件で、日銀では営業局の課長が起訴された。その時の営業局担当理事が自殺した本間さんだった。そのため、本間さんは責任を取る形で任期満了前に理事を辞任した(1998年)。

破綻する金融機関に大量の公的資金が使われ、国民の目は監督官庁に向けられていたい時にあらわになったノーパンしゃぶしゃぶは、大蔵省を解体し、金融庁を独立させて監督を厳しいものにさせた。その結果が、本間さんを退任させたばかりか、東郷さんの裁判を厳しいものにさせたのは否めない。本間さんは東郷さんの3年先輩で、ひょっとしたら、東郷さんの無念を晴らそうと新しい日債銀の頭取に名乗り出たのかもしれない。しかし、日債銀の役員は、出資者の利害調整のために社外取締役の数が増えた傍ら、常勤の役員は本間さんともう一人しかいなかった。イヤな仕事だけが本間さん一人にのしかかったのではないかという想像は容易にできる。

日本の金融再生に貢献しようと奮起した日銀マンの人生は、誰も責任を取らない官僚政治と儲けることで人間関係が続く大資本家の犠牲になった。

この記事の読者数:

キャッシング
無料カウンター


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2009:「金融庁」

バブル処理、揺れる判決 被告ら検察批判 日債銀決算無罪 2011年08月30日 朝日新聞 夕刊 2社会

2011.08.30 旧日債銀差し戻し審 元頭取ら無罪に笑顔 検察「納得できぬ」 読売新聞 東京夕刊 夕社会

2011.08.30 旧日債銀粉飾 逆転無罪 元会長ら3人 「査定、裁量の範囲」 差し戻し控訴審 読売新聞 東京夕刊 夕一面

2011.02.18 粉飾決算差し戻し審 旧日債銀経営陣 改めて無罪主張  読売新聞 東京朝刊 2社

2009.12.08 旧日債銀粉飾事件 審理10年決着つかず 「差し戻し」に驚き 読売新聞 東京朝刊 社会

2009.12.08 旧日債銀会長らの有罪破棄 最高裁が差し戻し 粉飾さらに審理必要=続報注意 読売新聞 東京朝刊 一面

2008.05.27 東京海上日動、あおぞら銀株すべて売却 読売新聞 東京朝刊 A経

2006.11.15 あおぞら銀上場 国民負担3兆円、教訓残して再生 金融破たん処理、節目に 読売新聞 東京朝刊 A経

2006.11.14 あおぞら銀行が上場 初値495円/東証 読売新聞 東京夕刊 夕二面

2004.05.29 日債銀判決 旧大蔵、日銀OBを断罪 「護送船団行政」終えん 読売新聞 東京朝刊 B経

2003.04.12 「あおぞら銀株」決着 一時国有化銀、また外資傘下 短期売却、根強い批判 読売新聞 東京朝刊 A経

2000.11.21 日債銀、丸山新体制発表 新金融サービスにも力 当面は「集団指導」に 読売新聞 東京朝刊 B経

2000.11.19 日債銀社長に丸山博氏内定 難航極めた後継選び(解説) 読売新聞 東京朝刊 A経

2000.09.21 本間・日債銀社長の自殺 仕事の重圧としか… 家族ら「信じられない」  読売新聞 東京朝刊 社会

2000.09.21 日債銀・本間社長自殺 経営かじ取り役失う 寄り合い所帯、前途暗雲 読売新聞 東京朝刊 B経

2000.09.05 新生日債銀「多難な船出」 不良・問題債権1兆2000億円 読売新聞 東京朝刊 A経

2000.09.02 新日債銀 独立の監査委を設置、経営の透明性確保 孫・ソフトバンク社長が方針 読売新聞 東京朝刊 B経

2000.08.25 日債銀の譲渡、金融再生委が最終決定 読売新聞 東京夕刊 夕二面

2000.07.07 米ハイテク専門のシリコンバレー銀、日債銀に出資 協調融資など提携 読売新聞 東京朝刊 B経

2000.02.25 日債銀譲渡 国民負担3兆2000億円 6月から営業開始、頭取に本間忠世氏 読売新聞 東京朝刊 二面

2000.02.17 日債銀譲渡 ソフトバンク連合に 金融再生委が24日にも正式決定 読売新聞 東京朝刊 A経

2000.01.22 日債銀粉飾事件 検察側の冒頭陳述要旨 読売新聞 東京朝刊 商況B

1999.07.24 日債銀に強制捜査 ゆがんだ行政再び露呈 破たん経緯幅広く検証を 読売新聞 東京朝刊 A経

1999.07.24 日債銀元会長ら6人逮捕 800億円粉飾の容疑/東京地検・警視庁 読売新聞 東京朝刊 一面

1999.07.16 東京地検、日債銀前頭取ら参考人で聴取 1000億円粉飾疑惑 読売新聞 東京朝刊 一面

1999.06.28 [ニッポン国有銀行](20)「手を打たなかったのはだれか」(連載) 読売新聞 東京朝刊 2社

1999.06.26 [ニッポン国有銀行](18)「日債銀との合併は無理だな」(連載) 読売新聞 東京朝刊 2社

1999.03.30 引責退職の本間忠世元日銀理事 東京中小投資育成の特別参与に就任へ 読売新聞 東京朝刊 二面

1999.02.25 日債銀の回収懸念債権7000億 東郷前頭取「日銀に報告」認める/衆院予算委 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1999.02.01 日債銀の第三分類債権額 東郷前頭取が大蔵検査と違う報告 速水日銀総裁が答弁 読売新聞 東京夕刊 夕二面

1998.12.26 日債銀の旧経営陣21役員が退任 退職金は払わず 読売新聞 東京朝刊 A経

1998.12.22 日債銀新頭取に藤井卓也氏 日銀局長起用で信頼の回復図る  読売新聞 東京朝刊 A経

1998.12.14 日債銀「国有化」 受け皿銀行に中央信託が有力 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1998.12.14 国有化残念だが新生得策と判断 日債銀、東郷頭取が会見 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1998.12.13 日債銀の不良債権隠し ダミー50社へ「飛ばし」 長銀もまねた巧みさ 読売新聞 東京朝刊 社会

1998.12.13 日債銀国有化 「護送船団」終えん 大蔵・日銀OBの"神通力"消える 読売新聞 東京朝刊 A経

1998.12.13 日本債券信用銀行、一時国有化きょう決定 小渕首相の職権で 読売新聞 東京朝刊 一面

1998.12.12 日債銀に国有化通告 「破たん処理」適用 預金・金融債は全額保護/政府 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1998.12.11 日債銀、一時国有化も 不良債権処理急ぐ 監督庁・日銀が検討 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1998.12.01 中央信託と日債銀が合併交渉 ビッグバン対応、来年10月の発足めざす 読売新聞 東京朝刊 一面

1998.04.04 接待汚職起訴で、日銀が前証券課長を懲戒免  読売新聞 東京朝刊 社会

1998.03.24 日銀の接待汚職事件 本間理事が引責退任へ  読売新聞 東京朝刊 A経

1998.03.17 日銀理事刷新へ 全員の退任も 読売新聞 東京夕刊 夕一面

1997.11.04 三洋証券の会社更生法申請 日銀特融など特別措置ない 本間日銀理事が会見 読売新聞 東京朝刊 二面

1997.08.21 [新頭取・私のチャレンジ]日本債券信用銀行・東郷重興氏 米型の投資銀行に 読売新聞 東京朝刊 B経

1997.07.30 日本債券信用銀行頭取に東郷重興副頭取が昇格 日銀出身、再建の基盤固め 読売新聞 東京朝刊 一面

1997.05.27 窪田日債銀頭取、当面は続投 再建策軌道に乗せるまで…/決算取締役会 読売新聞 東京朝刊 B経

1996.11.26 25日の東京円、急落112円台前半 読売新聞 東京朝刊 B経

1996.05.22 日本債券信用銀行顧問に東郷重興日銀国際局長が就任 読売新聞 東京夕刊 夕二面

1995.09.30 兵銀新銀行への出資支援 「関西全体の結集望む」 本間・日銀大阪支店長が表明 読売新聞 大阪朝刊 B経

1995.04.20 日銀国際局長に東郷重興・政策委員会室長が就任 読売新聞 東京夕刊 夕二面

1994.05.13 [サロン]新登場 日銀大阪支店長に着任した 本間忠世さん 前向きに再建支援 読売新聞 大阪朝刊 B経

1994.04.26 日本銀行大阪支店長に本間忠世・信用機構局長 読売新聞 大阪夕刊 夕二面

1992.02.04 [視界]日銀新幹部人事 "バブル後"へ布陣 信用維持の成否握る 読売新聞 東京朝刊 A経

【岸コラ】もくじ 【岸田コラム】 home

Copyright © Toru Kishida 2011 All Rights Reserved.