いまさら「金大中事件」の表と裏【表編】 おられる

いまさら「金大中事件」の表と裏【裏編】

岸田 徹 【岸コラ】
2007年11月30日(金)

金大中前韓国大統領金大中が東京・九段のホテル・グランドパレスから韓国中央情報部(KCIA)要員により拉致されてから、ちょうど1年後、韓国では大統領暗殺未遂事件が起きた。金大中が拉致されたのは当時の独裁的な大統領だった朴生煕の関与によるものとの疑いが強いが、その大統領が今度は襲われる身となった(1974年)。

事件は、8月15日に起きた。日本では終戦記念日だが、朝鮮半島では戦争に敗れた日本軍からの解放記念日。「光復節」と呼ばれ朴正煕大統領がソウルの国立劇場で行われた式典で演説をしていた。演説中の大統領めがけて一人の男が銃を放ったが当たらず、続けて打った数発の銃弾のうちの一発が大統領夫人の頭部に命中した。これに応戦したSPの銃弾が式典の合唱団員だった女子高生にもあたった。

夫人はすぐにソウル大学付属病院に搬送された。朴大統領は最後まで演説を続け、式典が終わるや病院に駆け付けたが、懸命の手術もむなしく夫人は死亡した。合唱団の女子高生も犠牲となった。

犯人はその場で取り押さえられた。在日韓国人の文世光だった。事件に使われた拳銃は大阪の高津派出所で盗まれたものと判明。文世光は「総連大阪府生野西支部政治部長に指示された」と供述した。韓国側は、事件は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関与があるとし日本政府に捜査の協力と朝鮮総連の取り締まりを求めた。しかし、日本側は単独犯行説をとり、韓国の対日批判はピークに達し、連日日本大使館前には抗議のデモ隊が押し寄せた。朴大統領は日韓断交を決意していた。

夫人の葬儀には日本から現職の田中首相が参列したが、朴大統領の対日不信は収まらなかった。大統領は、アメリカ政府にも日本が厳しく朝鮮総連を取り締まるよう圧力を望んだが、「日韓関係が壊れることは防衛の面などでも問題が生じる。韓国側が熟考し、事態を収拾すべきだ」(当時のハビブ米国務次官補が駐米韓国公使に)との返答に朴大統領は怒りをぐっと腹に収めざるをえなかった。

この事件も、結局日本側が韓国政府転覆を企てる団体や個人を取り締まる約束をした「田中親書」を韓国側に渡し、特使として派遣された椎名悦三郎自民党副総裁が朝鮮総連の取り締まりを口頭で約束する政治決着が図られた。

わずか1年の間に起きた日本を舞台とする朝鮮半島の事件である金大中事件と文世光事件。この二つの大事件は日本にとっては重大な事件だった。ともに日本国民にとっては映画かドラマに出てくるスパイもの事件のようだったが、事実は小説より奇だった。

政府が約束をした朝鮮総連の取り締まりは行われなかった。その理由は、(1)軍事独裁色の強い朴正煕政権に対し日本の世論に支援する空気がなかった、(2)金大中事件で日本は主権を侵害され、これに対し韓国政府がまったく捜査に協力しなかったので日本の警察当局の韓国に対する感情が最悪だった、(3)田中首相が日中国交正常化を果たした(1972年)直後だったので、北朝鮮と仲がいい中国を刺激したくなかった――の3点があげられている。

しかし、日本はこの二つの事件で日本がいかに簡単に主権を侵害される国なのかをもっと知るべきだった。今わかっている北朝鮮による日本人拉致事件の最初は、文世光事件が起こる2ヶ月前に起きた。1974年6月幼い姉(7歳)と弟(3歳)が福井県小浜市で突如消息を絶った。二人が生存していればお姉さんは40歳だ。それから3年後、石川県の宇出津海岸では男性が連れ出され不明に、鳥取県米子市で松本京子さんが、新潟市では横田めぐみさんが、翌年には神戸市で田中実さんが次々に姿を消した。その後発生した大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯の教育係とされる田口八重子さんも爆破事件から数年以上前に拉致され、そのころには、地村さん夫妻(現在)、蓮池さん夫妻(同)、市川修一さん増元るみ子さんのアベック拉致事件が続けて起き、佐渡では曽我ひとみさんとお母さんのミヨシさんが拉致された。いずれも1978年の夏におきたもので、文世光事件から4年後のことだった。

拉致事件を最初に報道したのは産経新聞で1980年。最初の拉致事件から6年後のこと。国会で取り上げられるにはそれからさらに8年を要した。北朝鮮に日本政府が最初に拉致を問いただしたのは国交正常化交渉の時で、大韓航空機爆破事件にからんで田口さんと思われる李恩恵の身元確認をしたところ、北朝鮮側は一方的に席を立ち、以降交渉は中断した(1992年)。

北朝鮮側が拉致を認めたのは、小泉首相が訪朝した2002年だった。文世光事件から28年後のことだ。

文世光事件で朴大統領が、日本があまりに朝鮮総連を野放しにしているのに激怒したのは最愛の夫人を失ったのが理由の一つであることは間違いない。しかし、それ以外にもあったのではないか。前年にほぼ自身が当事者となって、政敵である金大中を白昼堂々と首都東京で拉致して大阪の港から偽装工作船で韓国に連れ戻すことができるほど日本が甘いことを身をもって知っていた。だから、北朝鮮が工作員を日本経由で韓国に侵入させ、自分自身を暗殺しようと思えば容易にできることを文世光事件で二重に知らされたことになる。これに恐怖を覚えるから日本政府の対応を断交を覚悟してまで執拗に迫ったのではないか。朴大統領は日本の陸軍士官学校を卒業した秀才だ。日本のこともよく知っている。大統領になってからは驚異の高度経済成長をもたらせたが、日本の戦後賠償を含めたODAと無縁では達成できなかったはずだ。日本と国交を断行する決意を秘めたのは相当な怒りと死を予感させる恐怖があったからに違いない。

これに対して日本政府の反応は冷ややかだった。二つの事件は治安のいい日本では普段はありえないと高をくくったような反応だ。しかし、本当にそうだったのだろうか。本当は、金大中が突如姿を消しても、朝鮮総連が文世光を韓国に潜入させても、ありうることだと思っていたのではないか。さらに、北朝鮮による拉致事件も最初から十分認知していたのではないか。

金大中事件と文世光事件を別々に見れば話は別だが、1年の間に起きた事件として二つを並べれば、日本で拉致事件が起きるのはありうることだと容易に想像がつく。その想像が政府関係者とマスコミ関係者に生まれないと考えるのは非常に不自然だ。

となると、二つの大事件を政治決着したのも、長い間北朝鮮による拉致事件を政府が認知しなかったのも、その真相究明や被害者救済よりももっと大事にしたい利権が日本と朝鮮半島の間にあったのではないか。

韓国はいまやODAを受ける方ではなく援助する方の国だ。中曽根元首相訪韓時(1983年)に18.5億ドルの円借款以降日本は韓国にODAによる資金援助は行っていない。しかし、それまでの韓国に対する有償資金援助は6,455億円で、東南アジアに対する有償のODAの1割以上を韓国が占めている。ここに利権があっても当然だ。

11月9日発行の週刊朝日には金大中事件の後に朴政権のある大臣が目白の田中邸を訪れ4億円は下らないお金が入ったと思われる包みを置いていったという「越山会」の幹部の話を紹介している。

また、日韓両国のパイプ役は以前から岸信介、福田赳夫の元首相が有名で、その流れにあった安倍晋太郎元外相も知名度があり、竹下登元首相も蔵相時代に経済協力を決断したのが好感されていた。これらの関係を考えると、犬猿の仲だった旧田中派も旧福田派も韓国とは関係が深いと考えられる。また、右翼の大物や暴力団の名前も登場する。

北朝鮮の拉致を長いこと問題視できなかった背景には社会党が強かったことがあげられている。社会党の北朝鮮との関係が深く、日本の政界で社会党が野党として無視できない強固さがあったから主権を侵害されても政府が厳しく朝鮮総連を取り締まれなかったという理由だ。

金大中氏は社会党の土井たか子委員長と個人的にも友好関係にあった。同じ野党という立場もあったのだろう。いくら金大中が東京から拉致されたとはいえ、その体験からこの二人が手を組んで北朝鮮の拉致問題解決を議論したという話は当然のことながら見当たらない。

朴正煕元大統領が側近に暗殺されてから20年たった時(1999年)、金大中が韓国の大統領だったが、その際、経済成長を生んだ朴正煕氏を再評価する動きがあった。金大中は命を狙われた朴正煕一派に拉致されながらも「朴正煕大統領は、歴史の中で尊敬されるべき指導者だ」として、朴大統領記念館建設支援を表明している(読売新聞)。いったい、誰がどの立場で何をしているのか。誰が自国民を守っているのか、まったくわからなくなる関係だ。

これらのことを考えると、日本と朝鮮半島との間には常識では考えられない複雑怪奇な利権構造があるのではないかと疑ってしまう。虚脱感が広がる「金大中事件」の裏側だ。

この記事の読者数:


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「児玉誉士夫」「笹川良一」「朴正煕」

[めぐみの30年](下)鈍かった「拉致」への感度(連載) [2007年11月17日読売新聞東京朝刊]

金大中事件と田中角栄 韓国調査報告書が暴いた真実と闇に消えた4億円 日韓裏面史 [2007年11月9日週刊朝日東京]

【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 金大中事件とソウル五輪[2007年11月03日産経新聞東京朝刊]

大韓航空機爆破事件 「韓国の自作自演」を否定 真相究明委が報告 [2007年10月25日読売新聞東京朝刊]

2児拉致 女工作員 韓国テロ指示 49年文世光事件後「あんな事件を」 [2007年04月14日産経新聞大阪夕刊社会面]

金大中事件・第2次政治決着 「口上書、日本側指南」 韓国の外交文書公開 [2006年3月31日読売新聞東京朝刊]

原さん拉致 「26年前の“闇”解明を」 総連 組織的関与か [2006年03月23日産経新聞大阪夕刊社会面]

74年「文世光事件」外交文書公開 米に捜査圧力要請 韓国、対日断交を検討 [2005年01月21日産経新聞東京朝刊国際面]

「文世光事件」文書公開 日韓断交、米が回避導く 韓国、声明発表直前に断念 [2005年1月21日読売新聞東京朝刊]

韓国、対日断交も想定 「文世光事件」外交文書を公開 [2005年1月20日読売新聞東京夕刊]

拉致追及の記者らテレビドラマに 来月12日、フジテレビ系放映 [2003年08月16日産経新聞東京朝刊社会面]

「南北の約束は守る」 金総書記、訪朝の朴槿恵氏に語る [2002年5月15日読売新聞東京朝刊]

韓国の朴槿恵議員が金総書記と会談/北朝鮮 [2002年5月14日読売新聞東京朝刊]

朴正煕・韓国大統領、暗殺から20年 「近代化の父」再評価 [1999年10月27日読売新聞東京朝刊]

「中曽根後」海外の見方 知名度にばらつき安・竹・宮 [1987年1月14日読売新聞東京朝刊]

[土井社会党・再生への挑戦](中)政策転換 (連載) [1986年9月8日読売新聞東京朝刊]

参考サイト:

伝記から読む、臨調の立て役者・瀬島龍三氏の裏と表(その二)

ODA

北朝鮮による拉致容疑事案について

【岸コラ】もくじ 【岸田コラム】 home

Copyright © Toru Kishida 2007 All Rights Reserved.