おもちゃの防衛 いまさら「金大中事件」の表と裏【裏編】

いまさら「金大中事件」の表と裏【表編】

岸田 徹 【岸コラ】
2007年11月27日(火)

2007年11月22日付日経新聞社会面34年前に起こった衝撃的な拉致事件が警察によって解決していない。韓国の金大中前大統領(当時は野党民主化運動の指導者で海外で反政府活動をしていた・47歳)が、東京・九段下のホテル・グランドパレスから拉致され、5日後に韓国の自宅付近にいたという事件だ(1973年)。拉致現場のホテルからは韓国大使館の中央情報部要員の金東雲1等書記官の指紋が検出され、韓国政府の関与が取りざたされた。

日本の警視庁は金書記官の出頭を求めたが、韓国大使館はこれに応ぜずいつの間にか金書記官は韓国に引き上げてしまった。日本政府は日本の主権が侵害されたと韓国政府を非難した。時の韓国大統領は軍事独裁政権で批判が高まっていた朴正煕氏。金大中氏は反朴運動家で、拉致される2年前の大統領選挙では朴大統領と接戦を演じた。朴大統領が自分の政敵を抹殺するために仕組んだのではないかというのがもっぱらの噂だった。

映画の中でしか考えられないような事件だった。金大中氏も現在は81歳。金大中氏はその後朴政権によって政治活動を制限されたが、拉致から6年後に朴大統領が暗殺(1979年)されると、政権を奪取した全斗煥大統領により政治活動を禁止された上に、政府転覆の罪で死刑判決を受ける結果となった。しかし、国際世論が釈放を実現させ、全斗煥政権批判を続け大統領選に臨んだ。ところが、野党間の調整がつかないままの選挙で負け、その後も大統領選挙では恵まれず、一時政界を引退した。

再び新政治国民会議の総裁となって復帰すると、韓国はアジア通貨危機で深刻な経済危機に襲われ、国民会議から大統領候補に指名されると与党系の2候補を破り、ついに第15代大統領になった。金大中は財閥改革を中心に財政改革をすすめ、不良債権処理のために公的資金を金融機関に投入するなど経済立て直しに尽力した。それまでの日本文化輸入禁止も解除し、日本映画や漫画を韓国に入れたのも彼だった。北朝鮮の金正日氏とも会談を実現させ、この功績で韓国人初のノーベル賞を受賞した(2000年)。現在の盧武鉉大統領はこの流れを受け継いでいる。

金大中氏が東京で拉致されたことは大変なことだったが、彼の政界での人生はそれもほんのヒトコマと思わせるほど波乱万丈なもの、まさに命がけの政治活動だった。大統領になった時点で東京での拉致事件を口にすることもなかった。

ところが、先月、韓国政府の「過去事件の真相究明委員会」がこの拉致事件を当時の韓国中央情報部が主導した組織的犯行だったと突如公式に認める発表をした(10月24日)。当時の朴正煕大統領が直接関与したかについては断定するには至らなかったが、可能性が極めて高いとした。韓国政府は当時の政府が日本政府の主権を侵害したことを公式に認めたが、日本政府も政治決着に協力し、事件の真相をつかもうとしなかった責任があるとした。金大中氏も「日本は主権を侵害され、私を保護すべき義務を放棄した」と日本政府の対応を批判した(10月30日都内での記者会見)。

韓国政府は駐日大使を外務省に向かわせ、高村外相に遺憾の意を表明し、高村外相は遺憾の意を陳謝と再発防止の確約と受け止め、この件を政治決着させた(10月31日)。

これで一件落着のはずが、突如11月22日に日経新聞が、警視庁が韓国に金大中事件について捜査協力を要請すると報じたのだった。政治決着はしたものの事件そのものは確かに解決していない。しかし、税金を使って捜査を行うのだから、もっと納税者に関心のある事件を扱ってほしいところ。なんで、いまさらの感は否めない。

そこで、ピンと来るのが、韓国の大統領選挙だ。韓国の大統領は再選が許されていない。5年の任期でピタリと終わる。今の盧武鉉大統領は12月の選挙で次の大統領にバトンタッチされる。

今回の大統領選挙は過去最多の12人が立候補したが、事実上選挙戦は3人に絞られている。本命は最大野党ハンナラ党の李明博前ソウル市長だ。世論調査ではほぼ4割の支持を得ている。これに対して現在の金大中、盧武鉉の流れをくむ与党系の鄭東泳元統一相は約15%の支持とさえない。現大統領が理論先行でなかなか経済が活性化しないのに有権者が業を煮やしているのが盛り上がらない原因のようだ。これで、ほぼ野党が次期大統領を出すのが決定的と思われていたところ、ハンナラ党を離脱し、大統領候補に名を挙げた人がいる。

李会昌ハンナラ党元総裁で、大統領選挙ではかつて金大中、盧武鉉両候補と接戦を繰り広げた候補だ。すでに福田首相より一つ上の72歳で最後のチャンスとばかりに立候補したが、野党分裂との声も聞こえ、波乱含みの選挙戦となった。

最有力の李明博候補はハンナラ党の予備選挙で朴槿恵に勝って大統領候補になった人物だ。朴槿恵は金大中拉致事件を直接指揮した疑いのある朴正煕元大統領の長女。韓国では最近、朴正煕こそが韓国を最貧国から経済大国にのし上げた立役者と再評価する動きがある。そこで、野党系候補の李明博前ソウル市長と李会昌ハンナラ党元総裁はそろって朴正煕元大統領の偉業を強調している。

この二人が野党票を割ってくれれば与党系の鄭東泳元統一相候補は有利と見られる反面、野党系の二候補が接戦を繰り広げ話題を独占すれば、与党系の鄭元統一相候補は全く票が取れないことも予想されている。

韓国政府が今になって、金大中拉致事件を朴正煕元大統領の関与をほぼ認めると公式に発表したのは、明らかに野党候補への攻撃が目的だ。さらに、この問題を日経新聞で蒸し返すのは、韓国人脈が強い旧田中派に福田派が追い打ちをかけたことになる。

これが、この騒動の表の顔だ。しかし、この裏には日本の情けない実情が透けて見える重大な一面がある。

つづく

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「金大中」「朴正熙」

韓国大統領選スタート 関心は政治から経済へ[2007年11月27日 産経新聞 東京朝刊]

【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 韓国「失われた10年」?[2007年11月24日 産経新聞 東京朝刊]

[12・19韓国大統領選](上)「保」対「保」激突 投票あと1か月(連載) [2007年11月20日読売新聞東京朝刊]

韓国与党系2党が統合[2007年11月13日 産経新聞 東京朝刊]

韓国大統領選…三つどもえの様相 保守分裂、李会昌氏出馬 李明博氏独走に変化 [2007年11月8日読売新聞東京朝刊]

北朝鮮政策に不満 李会昌氏が出馬表明 韓国大統領選[2007年11月08日 産経新聞 東京朝刊]

(ポスト盧 07年韓国)保守分裂、三つどもえに 李会昌氏、大統領選立候補を表明 [2007年11月8日朝日新聞東京朝刊]

金大中氏が拉致事件で批判 町村官房長官が不快感 [読売新聞東京朝刊

拉致事件 金大中氏が韓国政府報告書を批判 [2007年10月31日読売新聞東京朝刊]

金大中事件 韓国大使が「遺憾の意」 高村外相は「外交決着」表明 [2007年10月31日読売新聞東京朝刊]

金大中氏「朴元大統領が拉致指示」 韓国側報告書を批判 京都で会見 [2007年10月31日読売新聞大阪朝刊]

金大中事件 「気分害するなら日本は小さな国」 韓国の真相究明委が批判展開 [2007年10月27日読売新聞東京朝刊]

金大中事件 韓国の「遺憾表明」断る 政府内で対応定まらず [200710月27日年読売新聞東京朝刊]

[スキャナー]金大中事件報告書 日韓摩擦、再燃も 主権論議すれ違い [200710月25日年読売新聞東京朝刊]

金大中事件 朴元大統領関与「闇の中」 関係者証言食い違い [2007年10月24日読売新聞東京夕刊]

参考サイト:

韓国大統領選スタート、過去最多の12人立候補

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