アフガニスタンで問われる「国際社会の日本」 再び世界の渦に巻き込まれるトルコ

ミャンマーの軍事政権はなぜ生き残るのか。

岸田 徹 【岸コラ】
2007年10月2日(火)

地図は「Microsoftエンカルタ2007」宇宙飛行士が不時着したその惑星では猿が人間を奴隷にしていた――そこは地球だったという衝撃的な結末で世界中の話題になった映画「猿の惑星」。その猿のモデルは日本人だったというのがいまや定説になりつつある。原作者のフランス人ピエール・ブールは、「猿の惑星」の前に書いた「戦場にかける橋」でも有名だ。「戦場にかける橋」は第二次世界大戦中にタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の橋建設をめぐる話だ。日本軍が連合国軍の捕虜と現地の強制労働者を使って5年かかるとされた450キロにわたる鉄道建設を1年3ヶ月で完成させた。急ぐ建設と過酷な労働条件で「まくら木1本、人1人」といわれるほどの犠牲者を出して完成にこぎつけた。

映画の「戦場にかける橋」では、舞台となったクワイ川鉄橋建設を通じ捕虜のイギリス軍将校と日本軍指揮官との間に信頼関係が築かれるという脚色に、原作者のブールは不満だったといい、そのうっ憤を後の「猿の惑星」で日本人を猿として登場させることで晴らしたといわれている。ブールはかつて日本軍に捕らわれの身となったことがあり、その時受けた屈辱が忘れられないという。捕虜になる前は、自身がマレー半島で現地人にプランテーションの指導をしたり、中国やビルマで抵抗運動の支援をしていたようで、彼の体験がそのまま人間と猿とを逆転させた「猿の惑星」のストーリーを作り上げたといえる。

泰緬鉄道は、映画では完成直後に連合国軍の諜報活動兵士によって爆破されるのだが、実際には日本軍によってしばらく運行され、戦後は連合国軍によってほとんどが撤去された。

ビルマはイギリスの植民地だったが、戦前から独立運動の機運は高まっていた。学生運動を組織しイギリスの支配に抵抗したのがアウンサン・スーチーの父アウンサンだった。アウンサンはイギリス当局の弾圧にあい、日本に亡命した。アウンサンは日本軍とともにビルマに帰り、日本軍の力を背景にビルマ独立軍の指導者となった。ところが、途中で日本軍に失望し、一転して反日運動に徹することになり、連合国軍に加わって日本の支配に抵抗した。戦後、独立に関してイギリスとの交渉をまとめ協定を結んだが、実施前に保守派に暗殺されてしまう。その後はアウンサンの同志が完全独立を果たすのだが、少数民族問題やクーデターで10年以上混乱することになる。その中で軍政が力をつけビルマ式社会主義をめざいして中国との関係を大切にすると同時に非同盟中立を守ってきた。

戦後もそろそろ終わったのではないかと思われた20年前に、泰緬鉄道を日本の援助で一部復旧させようとする動きがあった。タイの内務省が観光客誘致に利用しようと日本企業のコンサルタント会社に調査を依頼したのだった。これには、捕虜になったオランダやオーストラリアの退役軍人会が「復旧に日本が手を貸そうというのであれば、許せない」(読売新聞)と猛反発し、計画はとん挫した(1987年3月)。

それからちょうど1年後、ビルマでは民主運動がおこり、25年以上続いた独裁政権が崩れた。そこに再び軍事クーデターが起き、「国家法秩序回復評議会」を設置して民政移管までの間の暫定政権を発足させた。その暫定軍事政権は総選挙を行うと公約したので、民主化を求める「国民民主連盟」はアウンサンの長女であるアウンサン・スーチーを外国から呼び寄せ書記長に据えた。

間もなく暫定軍事政権は国名をビルマからミャンマーに、首都の名称もラングーンからヤンゴンに変更した(首都は2005年11月にネピドーに移転)が、その直後にアウンサン・スーチーを国家破壊法違反で自宅に軟禁した。それから10ヶ月後に総選挙が行われ(1990年5月)、スーチーの「国民民主連盟」が圧勝した。ところが軍事政権の「国家法秩序回復評議会」はいまだに国会の召集をせずにいる。

このとき、日本はバブルの絶頂。ミャンマーの総選挙がおこなわれた4ヶ月前に東京の一等地、北品川の御殿山にあるミャンマー大使館の敷地6割が売りに出され、340億円で取引された。その跡地には高級マンションとオフィスビルが建設された。坪当たりの価格は1,200万円。ミャンマーの外貨準備高の3倍はあるという取引額だが、民主化を要求する側では総選挙がおこなわれる前に暫定軍事政権が国の資産を処分したことに不満の声が上がった。

暫定政権がその資金をどうしたかは明らかではないが、軍事クーデターが起きたことにより日本からの経済援助がストップしたことは大きな打撃であったことは事実だ。ミャンマーの対日債務のうち当時支払期限が来る返済分は280億円あったとされ、日本の経済援助が続かない限り資金は回らない状況だったはずだ。

日本は、ケルン・サミット(1999年)で最貧国に対する債務免除を強く求められた。旧約聖書では50年に一度の安息の年に債務帳消しが行われたことと翌年には千年紀が重なることでキリスト教国が2000年の節目に貧しい国の債務免除をすべきだと主張したからだった。アジアで重債務に苦しむ貧困な国はラオス、ミャンマー、ベトナムの3ヶ国だったが、ミャンマーはその中で最も多い債務残高があった。日本には海外債務を帳消しにできない法律があったが、2002年末、ついに債権を放棄した。アジアの国にはネパールが加わり総額で4,402億円が放棄されたが、そのうちのミャンマーの残高は2,735億円とみられる。

債権放棄には、軍事政権を利する行為だと民主化を求める勢力から批判がある。債権放棄が直接的に軍事政権を助けることにはならないだろうが、日本のODAがミャンマーの政権を助けてきたことは間違いない。軍事研究者によると、中国は過去10年間でミャンマーに対しミグ系戦闘機60数機、空対空ミサイル約300基、小型戦艦約10艘など約6億2千万ドル分以上の兵器を供与してきた(産経新聞)。その支払いに日本のODAが利用された可能性は否定できない。

今回の僧侶らによるデモを弾圧した軍事政権に対して国連は足並みをそろえて非難することができなかった。安保理は「懸念」の表明と軍事政権に自制を要求する声明を議長が口頭で発表したものの、文書にすることはできなかった。同様の動きはすでに今年の初めにあった。アメリカとイギリスがミャンマーの人権状況に懸念を示し、すべての政治犯の無条件解放を求める決議案を安保理に提出したが、中国とロシアが拒否権を行使、採択には至らなかった。

その直後、ミャンマーは中国に1万平方キロに及ぶ天然ガス田の探査権を与えていた。(産経新聞)

民主化運動が激しくなれば、軍事政権は弾圧を強める。軍事政権の弾圧に対し西側諸国は一斉に非難を浴びせ経済制裁を加える。西側からの経済援助がなくなると軍事政権はその分を中国に助けを求め、中国は経済援助を実施し、その見返りとしてミャンマーの利権を独占する。中国の援助で軍事政権が力をつければ、また民主化を求める運動が起こる。軍事政権はそれをまた弾圧する。すると再び西側諸国から経済制裁が加わる。そこにまた中国が援助をし、見返りにミャンマーの利権を得る。利権の多くは豊富な資源だ。中国はその資源を元に経済成長を発展させている。この悪循環(中国にとっては好循環)が20年近くにわたってミャンマーの軍事政権を支えてきたといえる。

これでミャンマーの軍事政権は安泰だと思われるが、今回の騒動で見えてきたものがある。今回の民主化運動は僧侶がおこしたように見られがちだが、そうではない。僧侶のデモと民主化運動のデモとは始まりが別だ。最初は8月19日に民主運動家によって燃料費高騰を抗議する500人のデモから始まった。活動家はすぐに逮捕されたが別の活動家が続け、22日には女性を中心に150人のデモが行われ、沿道の市民が拍手を送った。軍事政権下でこれほどのデモが行われることはまずない。軍事政権の燃料費値上げ幅はガソリンが2倍、バス用燃料が5倍だった。

僧侶がデモを展開したのはそれから2週間後で500人規模だった。僧侶のデモは続いたが、2週間以上たった9月22日にアウンサン・スー・チーと僧侶が面会し、活動家と僧侶が合流する機運を高めた。自宅軟禁されているスー・チーさんを見張る兵士は、僧侶がスー・チーさんと面会する際には静観していたという。この情報も軍事政権下では特異だ。その後僧侶のデモは一気にその数を増し24日には10万人以上が参加するという大規模なものとなった。そこにいたり、軍政府は高僧に法に基づく措置をとると説明し、高僧も了承したという。

この一連の流れの中で、格差社会が軍や僧侶の社会に広がっていることがうかがえる。政権の中枢で利権が絡むところの軍関係者には、国家規模の資金が入りこみ、現場の軍人には恩典が渡らない。また、政権中枢の宗教関係者には治安維持の観点から経済的な優遇がされ、若い僧侶にはその恩典が回らない。おそらく市民社会にも軍関係で利権を得ている人とそうでない人との間に埋め切れない格差が生まれているのだろう。

日本を含め西側諸国が経済制裁をすればするほど、中国は資源が豊富なミャンマーを独占し、利権に浴する者だけが富む格差社会がミャンマーを蝕んでいく。これは、アメリカが進める自由主義社会の中で、「競争に勝った者」と呼ばれる特定層だけが富を独占する日本の格差社会とどこか共通した点がある。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「ミャンマー」

ミャンマー 動けぬ少数民族 停戦協定 軍政に取り込まれ [ 2007年10月02日産経新聞東京朝刊 国際面 ]

国連特使、軍政と協議へ ミャンマー 事態収拾への道厳しく [ 2007年09月30日産経新聞東京朝刊 国際面 ]

米で高まる対中批判 軍事・経済でミャンマーと強いきずな [ 2007年09月30日産経新聞東京朝刊 国際面 ]

ミャンマー軍政批判、英首相「中国は国際社会と足並みを」 [ 2007年09月29日産経新聞東京朝刊 国際面 ]

ミャンマー ASEANとインドは対応に苦慮 [ 2007年09月29日産経新聞東京朝刊 国際面 ]

ミャンマー、デモ発砲 日本政府は態度を明確に 衆院議員・鈴木宗男氏 [ 2007年09月29日産経新聞東京朝刊 総合・内政面 ]

ミャンマー、資源確保優先 民主化ドミノ警戒 制裁踏み切れぬ中国 [ 2007年09月28日産経新聞東京朝刊 総合・内政面 ]

[スキャナー]ミャンマー軍政 孤立覚悟の弾圧 議長、慎重論退け断行 [2007年9月28日読売新聞東京朝刊]

僧侶デモ、最大規模の10万人に 軍政は強硬措置を警告/ミャンマー [2007年9月25日読売新聞東京朝刊]

ミャンマー活動家13人拘束 燃料費値上げ抗議デモ続く [2007年8月23日読売新聞東京朝刊]

新規ODA、スー・チーさん解放が条件 ミャンマー特使に川口外相が表明 [2003年7月5日読売新聞東京朝刊]

[名作JOURNEY]タイ・カンチャナブリ 映画「戦場にかける橋」の舞台 [2003年1月20日読売新聞東京夕刊]

円借款放棄、アジアで約5割 [ 2002年12月26日産経新聞東京朝刊 ]

ピエール・ブール氏(仏作家)死去 [1994年2月1日読売新聞東京朝刊]

[プラザ・PLAZA]泰緬鉄道復旧に待った 日本の援助案に旧捕虜ら猛反発 [1987年3月17日読売新聞東京夕刊]

ミャンマー大使館が敷地の6割を極秘に売却 9300平方m340億円 [1990年1月26日読売新聞東京朝刊]

参考サイト:

中国の台頭と日本の未来

民主主義のビルマへ

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