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岸田 徹 【岸コラ】 |
ヤンキースの松井秀喜選手から贈られたチームのジャンパーを着て、左手にはブッシュ大統領から贈られたグラブをはめ、小泉前首相はさっそうとヤンキースタジアムのピッチング・マウンドに登った。伝統のヤンキース対レッドソックスの試合を前に小泉さんは始球式を行った。大きく振りかぶり投げたそのボールは、見事ノーバウンドでキャッチャーを務める松井選手のミットに収まった。満員の観客は拍手喝さい。小泉さんが上機嫌だったことは言うまでもない。
小泉さんは、国連総会で日本が常任理事国入りを目指していることを表明するためアメリカにいた(2004年9月)。始球式の翌日で国連総会演説の前夜、小泉さんは同行の記者団と懇談した。その席で、ポスト小泉を目指す自民党幹部らについて「後継者と目される壮年の人たちに、小泉内閣の改革を推進していこうという意欲が足りないと国民が見ている。それが、中二階と言われる人たちに『すぐ小泉の後をやれ』という声が出てこない大きな原因ではないか」と指摘した(読売新聞)。
小泉前首相は、「中二階」の人たちを飛び越えて、戦後生まれの安倍さんを半ば公然と次期首相に推していた。「中二階」の命名者は安倍さんの応援団長を自認する山本一太参議員、中二階の中心人物は次の四人だった。平沼赳夫、古賀誠、麻生太郎、高村正彦の「志士の会」を結成した人たちだ。志士とは何を志したかと言えばもちろんポスト小泉だ。ところが、誰ひとり名乗りを上げず飛び出してこないことから「中二階」と呼ばれ、世代も主張も決め手に欠けることから揶揄された。最も首相の座に近いとされていたのは平沼さんだったが、郵政民営化法案を機に古賀さんとともに小泉抵抗勢力の代表格にされた。高村さんも郵政民営化法案は棄権した。これで一気にポスト小泉から中二階の面々は姿を消した。
この中で麻生さんだけが、小泉さんと距離を置きながらも表舞台に残った。人気絶頂の小泉さんを選んだ総裁選挙でも、麻生さんはそれなりの結果を残していた。
今日安倍さんが首相辞任を表明した。次の総裁の呼び声に最も近い人とされているのが麻生太郎自民党幹事長だ。安倍首相辞任の筋書きは、先日行われた第2次安倍内閣の人事配置にすでに現れている。中二階がよみがえっているのだ。
その1――首相が内閣を運営していく中で最も重要なポストは、官邸と党の取りまとめ役だ。官邸の取りまとめは官房長官が行い、党の取りまとめは幹事長が行う。安倍さんは首相になるとご自身が信頼し、なんでも話せる塩崎恭久氏をいの一番に官房長官に据えた。幹事長ポストには実力者の中川秀直氏を置いた。今回の安倍改造内閣では、官房長官に与謝野馨氏を、幹事長には麻生さんを選んだ。これは、恐らく麻生さんの考えに基づいて行われたものだろう。与謝野さんは麻生さんと非常に近い。
中二階の前身ともいうべき自民党の中堅・若手を中心とした勉強会の「二十一世紀の日本を創る会」を立ち上げたのが、与謝野、平沼、麻生の三人だった。この時期は、YKK(山崎、加藤、小泉)が橋本首相(当時)に批判的だったが、YKKの次とされたこの三人組はすでにYKKに批判的だった。財界ともそれなりにパイプを持ち、中曽根さんともパイプを持っていたために、三人組は目立った存在だった。しかし、与謝野さんが一時落選したこともあり、「二十一世紀の日本を創る会」は一年もたたずに忘れられていった。
しかし、与謝野さんと麻生さんとの関係は続いていたようで、前々回の参議院選挙(2000年)で自民党が議席を減らした後の雑誌「論座」の座談会では、「ある人と話していたら、いま自民党に投票するのはおしゃれじゃない、って言うんだね」「いい表現だね」――と息の合ったところを見せている。与謝野さんは日本の浪漫主義運動の一時代を築いた歌人与謝野鉄幹と晶子夫人の孫で1938年生まれ。麻生さんは戦後の日米関係を決定した吉田茂首相の孫で1940年生まれ。世代も同じ、有名人の孫である点も同じ、さらに2人ともクリスチャンの家庭に生まれている。
その2――平沼さんの復党はずいぶん以前からくすぶっていたが、第1次安倍内閣で幹事長だった中川秀直氏が、郵政民営化を支持する誓約書を復党の条件としていたため平沼さんが拒否をしていた。第2次改造内閣では中川幹事長に選挙の責任で退陣させ、安倍さんに平沼復党を容認させた。この復党に最も熱心だったのが与謝野さんだ。「平沼氏は麻布高校で同じクラスにいた。根っからの自民党の方で、いろいろなことはあったが、帰ってもらいたいなと友人の一人として思っている」(読売新聞)と最近語っている。
その3――参議院選挙で惨敗した自民党が最も恐れたのがテロ特措法の延長問題だった。日本の国際貢献やアメリカとの関係でも重要な法案だったかもしれないが、この法律は日本の集団的自衛権の問題を内包しているため真剣に議論すれば憲法論議は避けられない。さらに、衆議院の解散に至る火種を持っている法律だ。この法律の主管である防衛大臣に中二階「志士の会」の中心メンバーの一人だった高村正彦氏を置いた。
この三点から、安倍退陣をにらんだ中二階の意志を見ることができる。
しかし、安倍さんの退陣がなぜ今なのか、どうして参議院選挙惨敗の直後に行われなかったのかについては、中二階の布陣だけでは納得がいかない。恐らく、次の理由で参議院選挙直後の安倍退陣は許されなかったのだろう。
(1)中二階の中心人物である麻生さんが安倍政権の重要閣僚ポストである外務大臣をやっていたため、参議院選挙の責任を安倍さんに取らせると麻生さんも内閣の一員として責任を取らなくてはならなくなる。
(2)参議院選挙で大敗した自民党が最初に直面するテロ特措法の延長問題、その矢面に立たされたのでは誰が総理になっても命が持たない。そこで、この問題だけは安倍さんに泥をかぶってもらおうとしたのではないか。
ところが、そんなことを明かして安倍さんに続投してもらうわけにはいかない。最初は中二階組も安倍さんを応援するポーズをとり、安倍さんもその気になったに違いない。なぜ、それが急にやる気を無くさせるようにしたのか。これには、これがきっかけではないかと思わせる二つの事件がある。
ひとつは、先のAPECでの出来事だ。日米首脳会談が行われ、安倍さんはブッシュ大統領に給油活動継続の「対外公約」を行った。親しみをこめて安倍さんは大統領を「ジョージ」と呼んだが、4月の訪米時に「シンゾー」と呼んでくれた大統領は、終始安倍さんのことを「ミスター・プライムミニスター」としか呼ばない(朝日新聞)。この会話で安倍さんはブッシュ大統領が自分を評価していないと敏感に感じたに違いない。さらに深く考えれば、自分の次をすでに把握していると思ったのだろう。恐らく、麻生さんがテロ特措法の次についてブッシュ大統領と話をつけていたのか、アメリカ側が麻生さんに政権交代を示唆したのかどちらかなのだろう。
もうひとつは、9月の第一土曜日夕から月曜日朝にかけて起こった問題だ。政治とカネの問題で身体検査を終えたはずの遠藤武彦農相が辞任に追い込まれた。1日(土)朝に問題が発覚したが、空気は楽観論だった。総合防災訓練が行われ、その合間に与謝野さんが遠藤氏に事情を聴いた。遠藤氏は記者会見で「一生懸命、農政に取り組む決意に変わりない」と辞任を否定し、防災服のまま2日(日)の未明まで大臣室で農水省の職員と想定問答を作成し、「すべて説明がつく」と官邸に報告した。しかし、麻生さんは2日(日)の朝のテレビ番組で「世間で通る説明なのかどうかが、一番の問題だ」と発言し、夜には与謝野さんが遠藤氏に「たとえいかなる事情があろうとも、国庫支出の問題で批判を浴びることになったのだから、そこは十分に考えてほしい」と暗に辞任を促した。これで遠藤氏は「なぜ辞任しなければいけないのか。私腹を肥やそうと思ったわけでもないのに」と漏らしながら辞任を決意した。この間、安倍さんは富ヶ谷の私邸から外には出ていない(読売新聞)。与謝野さんからは何の報告も相談もなかった。閣僚の人事権を取られたと感じた安倍さんは、この時点でやる気が失せたのだろう。
この筋書きからすれば、麻生さんが次期総裁になるのはミエミエだ。しかし、ここに至るまでの間が電撃的な逆転劇だったので、ひょっとしたら、さらに裏をかく逆転劇があるかもしれない。
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参考資料:
平沼氏、自民復党へ [2007年9月6日読売新聞東京朝刊]
遠藤農相辞任 「与謝野―麻生」で主導 国会持たない→早期決着が最善 [2007年9月4日読売新聞東京朝刊]
[スキャナー]背水内閣、要の官房長官に与謝野氏 経済界が強く推す [2007年8月28日読売新聞東京朝刊]
[ことばのファイル]中二階 流行語で先陣争い、いつ? [2004年12月10日読売新聞東京朝刊]
国連演説、首相が決意表明したが… 山また山の常任理入り 頼みの米そっけなく [2004年9月23日読売新聞東京朝刊]
ポスト小泉「改革意欲足りぬ」 首相、「中二階」けん制 郵政民営化協力狙い [2004年9月22日読売新聞東京朝刊]
ヤンキース・松井秀喜選手とNYで始球式 小泉首相「夢みたいだ」/米大リーグ [2004年9月21日読売新聞東京朝刊]
改革意欲足りない!? 「小泉後」で首相注文 [2004年9月21日読売新聞東京夕刊]
中曽根元首相と次世代リーダーが勉強会 [2001年12月8日読売新聞東京朝刊]
[論壇2000]8月 自民党“再生”への視座(連載) [2000年8月29日読売新聞東京夕刊]
ニューリーダーになれる? 政財界の「交流会」が竹下元首相の音頭で発足 [1998年2月6日読売新聞東京朝刊]
[まつりごと考]橋本総裁再選 YKKの“包括性” 政治部次長・浅海伸夫 [1997年9月9日読売新聞東京朝刊]
新勉強会に42人参加 中堅・若手「保・保」派が発起人会 28日に設立総会 [1997年8月21日読売新聞東京朝刊]
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