「時効」をなくす「非常事態」 NHK大リーグ放送の長い話

日本の病理、コムスン事件

岸田 徹 【岸コラ】
2007年6月8日(金)

2007年6月7日付日経新聞競馬の武豊が史上最年少・最速で700勝を達成した年は5つの「J」が話題となった。日本中央競馬会のJRA、この年に開幕したサッカーのJリーグ、アメリカ映画の「ジュラシック・パーク」、株式が上場された「JR東日本」、それにディスコの「ジュリアナ東京」、1993年(平成5年)のことだった。

ジュリアナ東京は翌年の8月末で閉店することになり、その前の一週間は入場無料の謝恩サービスが行なわれた。初日には開店一時間で1,500人が詰め掛けたが、最盛期の半分、不景気で「赤字に転落する前に『栄光ある撤退』を決断した」(読売新聞)とジュリアナ東京はコメント。

謝恩サービスのジュリアナが深夜の熱気に包まれているころ、九州の福岡では、看護婦の湯田さん(当時24歳)とヘルパーの桜木さん(同25歳)が住宅街にある山下マサエさん(同59歳)の家を懐中電灯と携帯電話、介護記録などを持って訪問していた。午前1時半だ。

2人はマサエさんから預った鍵で玄関を開け、マサエさんの母親で認知症のハツさん(同88歳)が寝ているベッドに。そこで、湯田さんが小さな声でハツさんを起こしポータブルトイレで排尿をさせ、おしめを交換して再びベッドに寝かせた。2人はそのまま鍵を掛け次の訪問先に向かった。

この間、隣の部屋のマサエさんは起きることなく熟睡している。マサエさんは腎臓を患っていたが、ハツさんの認知症で昼間の介護と夜中の排尿介助のため介護疲れが悪化し、5年ほど前から週三回透析するようになってしまった。2人の夜間巡回介護でマサエさんはやっと熟睡できるようになり、それまで200あった血圧が140まで下がった。

2人がこの夜巡回したのは5軒で、そのうち4軒は明け方に2度回った。この間の巡回距離は65キロ。これが、全国初のコムスン24時間介護サービスだ。

もしこれを、ヘルパーが24時間交代でハツさんを介護したら月額200万円ほどかかるが、こうやって必要なときに必用な介護を巡回してやれば、月25万円ですむというのが、当時のコムスン会長榎本憲一氏(コムスン創業者)の言葉だった。この発想は当時業界では大きな注目を浴びた。

ジュリアナ東京が閉店になったその年の暮れ、六本木にヴェルファーレというディスコが誕生した。ジュリアナ東京は商社の日商岩井とイギリスのレジャー会社「ウェンブリーレジャー」との合弁でつくられたディスコだったが、日商岩井の担当者が今のコムスンの親会社であるグッドウィル・グループ会長、折口雅博氏だった。折口氏はジュリアナ成功を生みながらも複雑な利権構造をつくったきらいがあり、その利権争いに巻き込まれ、日商岩井を退職することになった。

今度は折口氏が独力で誕生させたヴェルファーレは世界最大級のディスコともてはやされたが、六本木のディスコ全盛時代は陰りが見えていた。翌年(1995年)、ヴェルファーレは福岡のシーホークホテル&リゾート(現JALリゾートシーホークホテル福岡)で出張営業を行なった。大コンベンションホールに人気DJやミュージシャンを伴いフロアの周囲に「お立ち台」を囲った。300インチのマルチスクリーンに極彩色のレーザー光線は開催の4日間、福岡の話題を独占した。

このときに、折口氏がコムスンの会長である榎本氏に会ったかどうかは定かではない。

しかし、翌年(1996年)折口氏はヴェルファーレを辞め、前年に設立した人材派遣業の株式会社グッドウィルの事業に集中した。

榎本氏が独自にあみ出した24時間巡回介護サービスの事業は国の補助事業になり、コムスンは東京進出を図った。コムスンの東京進出は東京の在宅介護サービス業者を震撼させた。榎本氏が福岡で行なっている24時間サービスがその理由なのだが、恐れられた最大の理由はその価格だった。当時、区が民間業者に24時間巡回サービスを委託する場合、利用者が20人で10ヶ月間行なう請負価格は3千万円。それをコムスンはわずか4割の価格で行なうと入札したのだ。

東京の業者は、ただでさえ厳しい自治体の予算枠なのに、コムスンが価格破壊で乗り込むのはサービス低下を招きかねないと反発したが、榎本氏は、東京進出のための戦略的な価格だと殴り込みの姿勢を崩さなかった。

経緯は不明だが、グッドウィルの折口氏は榎本氏のコムスンに副社長として迎え入れられた(1997年2月)。「介護は成長産業。暗いイメージを一掃し、利用者が楽しめるようなアイデアも盛り込みたい」(読売新聞)と折口氏は意気込んだ。翌月、グッドウィルはコムスンに資本参加した。その年の暮れ、介護保険法が国会で成立した。

それから2年、福祉の浅野史郎氏が知事だった宮城県の登米(とめ)で、県下の8町が出資した国内初の自治体主導の介護サービス会社が設立された(1999年2月)。恐らく、ここに迎え入れられる形で榎本氏は社長に就任することになった。この時点でコムスンから身を引いたのだろう。それを示すように、その5月、折口氏のグッドウィルはグッドウィル・グループと社名を変更し7月に店頭登録した。同時にコムスンを完全子会社化。榎本氏がコムスンを去るときにはすでに店頭登録の計画があったのではないかと思わせるタイミングだ。

榎本氏は意外にもすぐにその介護サービス会社を辞めることになる。介護ヘルパーに長時間労働を強い、時間外手当を支払わなかったと労働基準監督署から改善命令が出されたのだった。さらに、この介護サービス会社には設立準備のために町の補助金が出たのだが、設立後も運営資金に1,300万円が使われていると住民監査請求が出された。

結局榎本氏は入社1年で介護ヘルパーに手当を払わずに時間外労働をさせた責任を取り辞任した。グッドウィルがコムスンに資本参加した年に成立した介護保険法は、榎本氏辞任から2ヵ月後に実施された(2000年4月)。

榎本氏はその後北九州に戻り、社会福祉法人「せいうん会」の理事長の仕事をしている(2003年までは同職で執筆の業界紙がある)。

折口氏がいなくなった後の六本木ディスコのヴェルファーレはエイベックス(avex)の子会社であるヴェルファーレ・エンターテイメントが跡を継いだ。avexは去年の2月までUSENが株式の21.3%を所有していたが徐々に減らし、現在は所有していない模様だ。

これらの名前が出てくると、すぐに連想するのがホリエモン事件だ。この方向から見れば、今回のコムスン騒動は、六本木ヒルズ族による事業売買の一環なのだ。

折口氏からすれば、2000年4月の介護保険法施行をにらんでの事業展開でコムスンを買収し、買収したこと自体でグッドウィルの企業価値を上げ、上がった分を資本に次の事業を展開しただけのこと。「コムスンの誓」は事業価値を上げるためのものだったはず。

そんな事業者をどうして認可したのかとの疑念が当然わくが、財政が破綻している国はすでに自分で介護事業をやる体力がない。これからは高齢化社会でビジネスチャンスがゴロゴロあると前宣伝だけ大きく行い、そこに民間業者を誘い込み、なんとか介護制度を成立させようとしたのが背景だ。

そんな背景で急成長した介護事業者に、行政指導をしても通じるはずがない。だから、介護保険料をごまかしてもいいという訳ではないが、行政指導が威力を発揮するのは、これに逆らうとひどい目に合うという鞭ではなく、行政の言う通りにしていると自然に儲かるという飴でないといけない。

旧来の日本社会は、官民が一緒になって業界を育てた。そこに行政指導があったわけで、法律上の罰則はそれこそ伝家の宝刀で抜く物ではなかった。経営の資源である人、物、金、情報のどれもが官民間で行き来して業界を発展させた。官にとっても民にとっても法律上の罰則は利益がないし、利用者である国民が巻き込まれると時の政府に非難が集中することから、政府も厳格な法律の適用は望まなかった。

しかし、最後はそれが行き過ぎて政官民の馴れ合いが天下りと談合の温床となり、それが今も非難の的になっている。

そんな行政指導の村社会に挑戦的だったのがホリエモンと通産省出身の村上世彰氏だった。それがためにこの2人は徹底的に特捜部の標的となった。

六本木ヒルズ族の目からすれば、行政指導という曖昧な強制力にどう対処したらいいのかはひとつの問題だったに違いない。厚労省の行政指導後、グッドウィルの折口氏側は、関連会社の日本シルバーサービスにコムスンの事業を譲渡することで、利用者と従業員を守ると即座に発表した。これに厚労省は、それでは国民が納得しないと待ったをかけた。

報道を通じ、これは処分逃れだと多くの人に思わせたが、日本シルバーサービスは今年の5月にグッドウィルの傘下に入ったばかりの会社で、グッドウィル本体にとってはまだまだ外様だ。1983年から桜湯園という老人ホームを経営する長老格の会社だ。コムスンよりはるかに経験と実績がある。

企業買収で利益をあげるのが目的の会社が善意で考えたとしたら、コムスンの譲渡先は桜湯園が最も責任をもって引き継げる先だ。ワンマン社長の息がかかっているのではないかという点では誰もが心配するだろうが、その考え方は行政指導がきちんといく業界での常識。

生まれたときから国が運営する体力がない介護業界で、めまぐるしく動いてきた企業判断ではこのような選択は「想定の範囲内」にあたる。

行政指導が上手く機能しない介護業界で、いったい認可された意味はどこにあるのだろうか。行政が認可したという意味は、行政が処罰するという意味ではなく、行政が責任をもって守るという意味として利用者は捕らえているはずだ。それが処分されて、サービスが受けられなくなったとなれば、利用者は認可自体にも疑うことを求められてしまう。これが、日本人の求める社会像だろうか。コムスン事件は日本の病理だ。

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参考資料:

コムスン介護事業不正 都「苦情、たくさん」 樋口社長「指定取消は重い」 [2007年4月11日読売新聞東京朝刊]

元暴走族仲間で覚せい剤を使用 大淀町職員ら4人を逮捕=奈良 [2002年2月21日読売新聞大阪朝刊]

時間外労働問題で社長の辞任を承認 登米広域介護サービス=宮城 [2000年2月19日読売新聞東京朝刊]

介護サービス会社への補助金は不当 住民が町に監査請求 迫町など8町=宮城 [2000年1月21日読売新聞東京朝刊]

介護報酬案 折衷型「現場実態を反映」 社会福祉協議会は評価 [2000年1月18日読売新聞西部朝刊]

「登米介護サービス」時間外労働問題 榎本社長が辞表提出=宮城 [1999年12月29日読売新聞東京朝刊]

介護ヘルパーに過重労働 労基署、宮城8町が出資の会社へ改善命令 [1999年12月24日読売新聞東京朝刊]

[期待と不安]介護保険法成立を前に(中)民間参入 巨大市場にらむ(連載) [1997年12月5日読売新聞東京朝刊]

[介護の現場を歩く](3)24時間巡回サービス(連載) [1997年11月21日読売新聞東京朝刊]

[超高齢時代](14)介護ビジネス “急成長”見越し競争し烈(連載) [1996年5月4日読売新聞東京朝刊]

在宅介護サービスに民間も参入 通信教育、人材派遣、警備… 公的保険への布石 [1996年4月13日読売新聞大阪朝刊]

[いずみ]東京・六本木のディスコが福岡で“出張営業” [1995年12月25日読売新聞西部朝刊]

[医療ルネサンス](692)第五部優しさのカルテ 在宅ケア=5(連載) [1994年10月19日読売新聞東京朝刊]

[記者席]5つのJ [1993年7月23日読売新聞東京夕刊]

大手商社がソフト戦略 ディスコや劇場などレジャー、文化施設を運営 [1991年5月16日読売新聞東京朝刊]

参考サイト:

The Goodwill Group

沿革

主要株主の状況

子会社株式会社コムスンの人事異動に関するお知らせ

USEN、エイベックスの筆頭株主に

avex グループ情報

USEN、エイベックス株式の一部を譲渡--持分法適用関連会社より除外

コムスン折口雅博氏が代表取締役社長職を離職

さいきんの介護保険をめぐる動き

訪問看護の自立をめざして

介護サービス利用者のためのガイダンス

桜湯園

Premier Medical Care

宮城県下の8自治体共同で

虎川太郎議員の一般質問=三月二日

内紛続出! コムスンの泥沼

株式会社コムスン会社概要

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