バベルの塔 宙に浮く基礎年金番号5千万件の大騒ぎ

支配が変わる通信社

岸田 徹 【岸コラ】
2007年5月18日(金)

2007年5月16日付日本経済新聞上野の国立西洋美術館には、フランス印象派画家モネの「睡蓮」や「舟遊び」、彫刻家ロダンの「考える人」など、世界中がよだれを流す作品が数多くある。これらの世界的な名画や彫刻は、バブル期に購入されたものではない。国立西洋美術館が開館する1959年(昭和34年)にあわせて日本に入ってきたものだ。敗戦から14年しかたっていない貧しい国日本に、どうして高額な芸術作品が入ってきたのか。

実は、これらの作品は元来日本のもので、実業家松方幸次郎(川崎造船社長・現川崎重工業)が大正末期から昭和初期にかけてヨーロッパで買い集めた1千点にのぼるといわれているコレクションの一部だった。いわゆる松方コレクションといわれているものだ。松方は画廊に入るやステッキで絵の並んだ壁を示し「まとめていくらか」と交渉したといわれている世界的にも有名なコレクターだった(読売新聞)。

これらのコレクションのうち371点が、第二次世界大戦の勃発で日本に持ち帰られる前に敵国資産としてフランス政府に差し押さえられてしまった。これを戦後返してもらったものが国立西洋美術館にある。話は簡単だが、返還までの道のりは険しかった。

フランス政府はいわば自国の作品を返す条件として、次の3点をあげた。(1)収納のための美術館を新設する(2)ロダンの「カレーの市民」は新鋳する(3)輸送費などすべての経費は日本側が負担する。

3条件が示された後も交渉は難航した。フランス側がフランスでも数が少ないゴッホなど17点を保留したいと言い始めた。さらに国内では、貧しい国情なのにどうしてコレクションを受入れるために新美術館を建設しなくてはならないのかとの不満を背景に所轄官庁の文部省と建設場所の東京都が積極的に動かない。

この難交渉を中心的にまとめたのが、松本重治氏と松方三郎氏の2人だった。松本重治の母は松方幸次郎と兄弟関係であり、松方三郎は幸次郎の弟。2人は叔父甥の関係だった。松本重治の母が四女であるのに松方三郎は十三男なので、叔父甥の2人は同い年であった。

2人は、日本の国策通信社だった同盟通信で同時期に活躍した者同士。松本重治は東京帝大を卒業後大学院に進みエール大学に留学した。帰国後帝大法学部の助手になり、世界会議に日本代表団のセクレタリーとして参加し、後の同盟通信社の前身である新聞聯合社に入社、上海支局長に就任した。西安事件をスクープし、戦争の期間は同盟通信の編集局長。敗戦までの間は常務理事で、近衛文麿のブレーンだった。全面戦争に突入した日中関係では和平工作に回り、日米開戦阻止にも努力したが果たせなかった。

松方三郎は学習院から京都帝大に進み、満鉄東亜経済局に入社後松本重治と同じ新聞聯合社に入社した。新聞聯合社が同盟通信になると中国各地を取材し、大戦中は満州国通信社理事長だった。

戦後、松本は公職追放されたが、三郎は共同通信社の専務理事になった。松方コレクションの日本返還は、この2人の国際交渉力と日本国内での人脈がなければ到底実現しえなかった。

同盟通信社は敗戦と共に解体され、現在の共同通信社と時事通信社になった。解体された理由は明らかで、戦争に加担したからだ。むしろ、主導的な立場だったと言えるかもしれない。同盟通信社は、日本が国際連盟から脱退後に作られた国策通信社だった。当時日本には多くの通信社が商業ベースで活動していたが、最大手の日本電報通信社(現在の電通)と新聞聯合社の二つを政府主導で合併させてできたのが同盟通信社だった。

第一次世界大戦でドイツが負けたのはイギリスのロイターが世界世論を作ったからだと言われたほど、世界の列強は自国の通信社を国策に使っていた。日本にはそれがなく、日本の主張を世界に知らしめる前に他国の報道内容で世界世論が形成され、失意のうちに日本は満州事変の処理で孤立化し国際連盟を脱退せざるをえなかったという反省が時の政府にあった。

近代的な通信社は、植民地時代に新聞が相次いで誕生したヨーロッパのフランスで産声を上げたアバスが最初。ついでドイツのウォルフ、イギリスのロイターと続き、その三社が世界を三分割していた。通信社が記事を書き、新聞社がそれを編集し世論を構成するのが通信社と新聞社の役割だが、初期の通信社は外交官や商人、金融業者にニュースを流すことから始まった。

パリがドイツ軍に占領されるとアバスはつぶれ、ドイツが敗戦になるとウォルフはつぶれ、アバスの後身にAFPが誕生するというふうに、通信社の歴史は国力の歴史でもあった。その中でロイターは常に世界をリードした。世論をリードするから国際的な地位を優位に保ち、地位が高いから世論をリードするという好循環があった。

日本もこれに習い同盟通信社は日本をリードし、アジアの世論を形成するという世界通信社の仲間入りを果たした時期があった。日本の意思は同盟通信の記事として世界に配信され、世界の出来事は同盟通信を通じ日本に入ってきた。表向きは国際通信社でも、その実は政府が金も口も出す御用通信社で、外にも内にも言論統制の手段として同盟通信社は利用された。

第二次世界大戦後は、アメリカのAP通信が頭角を現し、世界はイギリスのロイター、フランスのAFP、ソ連のタス、アメリカのAPとUPIの五大通信社の時代が到来したが、タスはソ連の崩壊と共になくなり、アメリカのUPIは慢性的な経営不振に電子メディアへの対応遅れが致命的となり、韓国の統一教会系の会社に買収された。

ロイターはアメリカのAPにトップの座を奪われたが、電子メディアへの進出をきっかけに経済ニュースに特化し経営を安定させていた。かつて世界を闊歩した五大通信社は現在は見る影もない。理由は二つ。ひとつは、電子メディアのネットワークが世界を網羅し、通信手段で世界を網羅していた通信社の存在を脅かしたこと。もうひとつは、国家の存在が陰を薄くしたことだ。強いアメリカの存在が列強各国を弱くしたと同時に、アメリカそのものも国益の求め方が民主主導の政府から大資本主導の政府になった。

国境は、電子メディアのネットワークとそれを走る大資本で取り除かれ、いまや通信社は国益をリードする存在ではなくなった。国家に代わり頭をもたげてきたのが大資本で、トムソンが2兆円でロイターを買収することになったのはその典型的な出来事だ。

すでに世界の言論は、国家の代わりに大資本家が通信社を支配し世論をリードしていく体制に入っている。


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「重松重治」「松方三郎」「松方幸次郎」「国立西洋美術館」「通信社」

[東京の記憶]国際文化会館 「学者ホテル」脈々と 戦後日本の「知」育てる [2004年12月20日読売新聞東京朝刊]

〈解〉戦前の電通 [1996年11月4日読売新聞東京朝刊]

民間外交で活躍の松本重治氏(国際文化会館理事長)が死去 [1989年1月10日読売新聞東京夕刊]

第9回外交文書公開 独立日本へ陣痛の試練(昭和25ー30年ごろ) [1987年12月1日読売新聞東京朝刊]

参考サイト:

財団法人新聞通信調査会沿革

前坂俊之 国策通信社「同盟通信社」の誕生

Bloomberg

国立西洋美術館 常設展

伊豆村房一の海外経済ウォッチング 【第32回】世界ニュースメディアの興亡

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