|
岸田 徹 【岸コラ】 |
前々回の【岸コラ】で、自民党は結党以来官僚出身のグループと政治家を自認する党人派のグループとが分かれて活動してきたと述べた。前者は「本流」と呼ばれてきたグループだ。
戦後の首相がどこの出身かを一覧にしてみた。
首相名 出身吉田 茂 外務省 鳩山一郎 弁護士 石橋湛山 東洋経済新報社 岸信介 農商務省 池田勇人 大蔵省 佐藤栄作 鉄道省 田中角栄 土建会社 三木武夫 アメリカ留学 福田赳夫 大蔵省 大平正芳 大蔵省 鈴木善幸 漁業団体 中曽根康弘 内務省 竹下 登 県議会議員 宇野宗佑 滋賀県議 海部俊樹 議員秘書 宮沢喜一 大蔵省 細川護煕 熊本県知事 羽田孜 父親の議員秘書 村山富市 県議会議員 橋本龍太郎 東洋紡 小渕恵三 学生 森 喜朗 産経新聞 小泉純一郎 ロンドン大学留学 安倍晋三 神戸製鋼
出身の定義は難しいが、どこから政界に入ったかを目安にした。実力派の首相はほとんどが官庁出身だ。大物と言われる首相で官僚出身でない人は、鳩山一郎、田中角栄、竹下登、橋本龍太郎、小泉純一郎の5氏だけだ。この中で小泉さん以外は本流の自民党議員だ。鳩山一郎は日本民主党の党首で自由党と合併し自民党になったので源流だ。
角さんはその日本民主党から立候補し初当選した。しかし、その流れとは別に、「日本列島改造論」で開発主導型の首相を演じられたのは時代が招いたもので自民党本流を歩んだ。竹下さんはその角さんが築いた派閥を上手く取り込んで首相になった。橋本さんはその跡を継いだ。つまり、この三氏は高度成長期の流れの中で数合わせで首相になった側面がある。その中で、本流が築いた官僚政治を上手く利用した。
それ以外の首相は、本流が危なくなったときのピンチヒッターだ。三木さんは角さんの金権政治批判を受けてのピンチヒッターだったし、鈴木善幸さんは大平さんの急死で、宇野さんは竹下さんのリクルート事件で、海部さんは宇野さんの女性問題で、それぞれピンチヒッター役だった。
細川さん、羽田さん、村山さんは自民党党首ではない、連立政権時代だ。橋本さんからは自民党主導の連立政権時代だが、橋本さんは竹下派の流れをくむ自民党本流のニューリーダーで、国民が望む構造改革の先駆役だった。官僚批判が吹き荒れる中での構造改革で、中央省庁等改革基本法を成立させた。官僚機構に手を入れるのは、官僚出身の首相ではやりにくかっただろうから橋本さんが首相をやったとも言える。
しかし、橋本さんは景気回復策が後手で選挙に負け、責任をとって首相を辞任した。総裁選では小渕、梶山、小泉が立候補したが、橋本さんがいた最大派閥の小渕派の小渕さんがそのまま当選した。なので、ここまでの自民党は、途中でピンチヒッターの登場や一時野党になりながらも、本流が吉田茂以降ずっと首相の座を続けていたと言える。
流れを変えたのは、森さんからだ。森さんは早稲田大学のラグビー部で活躍していたが胃潰瘍が原因でラグビーを止めた。在学中に自民党に入党し、卒業後は産経新聞や日本工業新聞の記者になった。議員当選後は福田派、安倍派、三塚派に所属し森派を旗揚げした。
この小渕さんから森さんへバトンタッチされた経緯は、今も謎めいている。
小渕さんは2000年の4月脳梗塞で緊急入院した。当時自民党は小沢一郎の自由党と公明党との自自公連立時代にあった。人柄の良さでは定評があった小渕さんだが、なかなか景気が回復せずこの年の選挙は自民党にとっては逆風の選挙かと予想されていた。この風を最後のチャンスに生かそうと小沢さんが連立与党を離脱したいと小渕さんに迫り、誰も小沢さんを止められないという空気が自民党を支配した直後、小渕さんは倒れた。
緊急に大蔵大臣だった宮沢さんが首相臨時代理に要請されたというが、宮沢さんは固辞し、自民党で唯一党首でありながら首相になれなかった河野洋平氏を推したとされている。ところが、宮沢さんは要請された青木幹雄官房長官に「青木さんがやるべきだ」(読売新聞)と言ったとされているが、実質的にはその後、赤坂プリンスホテルの一室で後継総裁を決めたというのが報道されている(読売新聞)。
その一室に集まったのは五人組と言われる人たちで、村上正邦(参院自民党議員会長)、青木幹雄官房長官、森喜朗自民党幹事長、野中広務幹事長代理、亀井静香政調会長の5人だった。青木さんがとりあえず首相臨時代理になり、すぐに小渕後継を決めることがそこで確認された。当時、YKKと持てはやされた加藤紘一と山崎拓は小渕首相が築いた自自公路線を批判したという理由で首相候補から外され、森さんと亀井さんにスポットが当てられた。森さんと亀井さんは三塚派でそれぞれグループを形成し、森さんが幹事長になると亀井グループはそれを不満とし三塚派を離脱し江藤・亀井派を作った。その直後だったために、森さんと亀井さんはばつが悪かったのかもしれない。江藤・亀井派の重鎮である村上さんが「森さんでいいじゃないか」と切り出し、森さんに決定したと言われている。
この時、小泉さんは森派の会長代行で、加藤派の加藤紘一と山崎派の山崎拓に森氏支持を要請している。(読売新聞)
これに公明党も森氏就任を受入れる声明を出し、早々と森首相は規定路線となった。森さんは早稲田大学で雄弁会に所属していたが、小渕さんはその2年後輩。青木さんは1年先輩で雄弁会では青木幹事長に森副幹事長の仲だった。この人間関係も森首相誕生に影響していたのではないかと言われている。
さて、森さんは首相就任後不適切な発言を連発し、さらにえひめ丸沈没の時にゴルフをしていたとの批判から1年余りで首相を降りることになり、同じ派閥の小泉さんが首相になった。以降、小泉さんは主流派の自民党をぶっ壊したが、これは同時に主流派と一緒になって日本を動かしてきた官僚政治を壊すことになった。この思想は、鳩山一郎が作った日本民主党の精神に一致する。
小泉さんは、郵政解散の衆議院選で大勝し、自民公明両党で議席の3分の2以上を獲得したにもかかわらず、その後生まれた前原民主党に対し連立を組まないかと打診したことがあった。ここで一気に憲法改正をしてしまおうと目論んだとされている。小泉さんが森さんを推した瞬間から、非主流派による政権奪取で旧日本民主党が悲願にしていた憲法改正を現実視していたのではないだろうか。だから、同じ名前の民主党に平気な顔をして話を持ち掛けたと連想させる。
森政権誕生のその時から、小泉さんは自分と安倍さんとで旧日本民主党による本流を築こうとしたのではないか。この流れを意識しないと安倍さんの行動は理解できない。
この記事の読者数:
参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「森喜郎」
参考サイト:
小泉首相が衆院選直後に「大連立」打診 民主・前原氏は即拒否 [2005年12月8日読売新聞東京夕刊]
[森新体制の底流](2)派閥事情 「次」へ強気と弱気交錯(連載) [2000年7月7日読売新聞東京朝刊]
小渕前首相死去 飾らぬ人柄、偲ぶ声 「まだ信じられない」 [2000年5月15日読売新聞東京朝刊]
[政界ウオッチング]「ノミの心臓」の大勝負 編集委員・水野雅之 [2000年4月11日読売新聞東京朝刊]
小渕氏入院の夜、「赤プリ」の密談で森後継決まる 党幹部5人集結 [2000年4月6日読売新聞東京朝刊]
小渕首相こん睡状態 退陣きょうにも 後継候補に森氏、幹事長は野中氏 [2000年4月4日読売新聞東京朝刊]
自由党政権離脱 検証・小沢氏をめぐる動き1か月 [2000年4月2日読売新聞東京朝刊]
小渕新連立内閣 18閣僚の横顔 [1999年10月6日読売新聞東京朝刊]
青木“新官房長官”が始動 「竹下流」根回し上手 政策面が不安要因 [1999年9月29日読売新聞東京朝刊]
ラグビー日本一の早稲田ラガー、あす25日竹下首相を訪問 [1988年1月24日読売新聞東京朝刊]
![]() |
![]() |
Copyright (C) Toru Kishida 2007 All Rights Reserved.