夕張市の財政破綻に見える陰(上) 夕張市破綻は、日本経済破綻の序章か。

夕張市の財政破綻に見える陰(下)

岸田 徹 【岸コラ】
2006年12月5日(火)

このコラムは、夕張市の財政破綻に見える陰(上)の続きです。

夕張市が財政破綻の道を歩まなくてはならなくなったきっかけは、松下興産が夕張で行なっていたスキー場とホテルなどのリゾート施設からの撤退で、それを夕張市が買い上げたものであることはほぼ間違いない。

夕張市は炭鉱の町から観光の町へ変身することで市全体を再生しようとしていた。実は、この変身劇には松下興産が深くかかわっていたと思われる面がいくつもある。松下興産は松下電器産業の創業者である松下幸之助が生み出した松下家の財産を管理する会社だった。しかし、松下幸之助氏の孫娘と結婚した関根恒雄氏が社長に就任する1983年ごろからリゾート開発に力を入れるようになった。

関根氏は、松下興産が建設をした「浦和ロイヤルパインホテル」を実父が創業した浦和土建工業(現・UDK)に発注するなどワンマン振りを発揮していたが、関根氏単独のワンマン体制だったとは言い切れない側面もある。特に、松下幸之助氏が存命だったころは幸之助氏の意思を無視したワンマン体制は考えられない。

夕張市には、松下幸之助氏が存命中に「夕張ワールドリゾート」構想がすでにあった。幸之助氏は日本の発展は、工業立国、貿易立国より観光立国によって行なわれるべきだとの持論を古くから(1953年)展開していた。夕張を観光の町へ変身させた前市長の中田鉄治氏は、松下幸之助氏に夕張進出を手紙で懇願したと言われている。

松下興産の関根社長(当時)は幸之助氏の了解のもとで夕張進出を決めたに違いない。関根氏と中田氏は夕張の観光開発に夢を膨らませ、壮大な構想に息を弾めていたという。

松下興産のリゾート開発進出には一役買った大物がいる。西武鉄道グループの総帥堤義明氏だ。松下興産がリゾートホテルを開発するとその運営はプリンスホテルがやるという二人三脚の役目で、守口プリンスホテル(1985年)を皮切りに、妙高パインバレープリンスホテル(1988年)、オーストラリアで一大開発を進めたゴールドコーストプリンスホテル(1990年)がそれらだ。

この時はまさにバブルの絶頂だったが、松下興産の乱開発の原因すべてをバブルに乗った経営者の無能で片付けるわけにはいかない。松下興産がプリンスホテルと進めたゴールドコーストプリンスホテル(現・ロイヤルパインズリゾート)開業の4年前には、オーストラリアのロバート・ホーク首相に日本の5人の閣僚が訪問し、日本からの投資を受入れるよう要請している。その5閣僚とは倉成正外相をはじめとする加藤六月農水相、田村元・通産相、橋本竜太郎運輸相、近藤鉄雄経企庁長官という主要閣僚だ(1987年1月7日)。

さらにその1年後には、通産省が炭鉱閉山や生産縮小で厳しい状況に置かれている産炭地域活性化のために国際リゾート施設の建設などを柱とする総合支援策に乗り出すことを明らかにしている。その支援策には政府のNTT株売却により得られる資金を無利子で事業資金に回すことも考えられていた。この地域のターゲットにはもちろん夕張市も入っていた(1988年4月12日)。松下興産が、夕張進出のために夕張のスキー場を買収したのはまさにこの年だ。

また、松下興産がオーストラリアのゴールドコーストにリゾート開発を開始したのも主要閣僚がオーストラリアを訪問した時期と重なる。これらは単なる偶然の一致ではない。誰かが、ある目的をもっていたからこそ出る結果だと考えるのが自然だ。

松下幸之助氏が亡くなったのは1989年の4月。その2年前には民間最高位の勲一等旭日桐花大綬章を受賞し、皇居では受賞者を代表し天皇陛下にお礼を述べていらっしゃる。生涯現役と言える幸之助氏の影響は各界に及んでいた。しかし、皮肉にも幸之助氏が亡くなると同時にバブル経済は崩れ始め、松下興産は、崩壊の一途をたどる。夕張のホテルも夏季営業を休止(1999年)、翌年にはゴールドコーストプリンスホテルはプリンスホテルとしての営業を終了、妙高パインバレープリンスホテルも同様に営業終了、その翌年には300億円を超す赤字決算で松下興産は無配転落、関根氏は社長を退任した。さらに、松下の顔として大阪市に建てられツイン21ビル(1986年竣工)も償還、売却を発表(2002年)。その直後に夕張市の事業から撤退することを発表した。

松下興産のリゾート開発事業からの撤退はバブル崩壊が財政的な要因を占めたのだろうが、松下幸之助氏の死去が決断を早めたものと考えられる。松下電器産業をはじめ松下グループの優良企業は、松下興産が松下家の財産管理会社である以上その経営には口を出せないところがあった。それは、松下グループと取引がある銀行も同様だった。松下幸之助という経営の神様の存在が、閣僚や官僚を踊らせ、地方経済を狂わせた可能性は大きい。そう思わせる理由は二つ。

ひとつは、バブル崩壊が明らかになっていた2002年に夕張市の中田鉄治前市長は、松下興産が所有し営業を打ち切るとしたスキー場やホテルなどを26億円で買収すると決断したことだ。松下興産は夕張のリゾート開発に130億円ほどかけたと言っているが、それを26億円で買い取るのは決して安い買い物ではない。北海道で人気を博したトマムリゾートは運営会社の一社が自己破産(1998年)し、800億円かけて完成したと言われる施設を村が約5億円で取得した。

松下興産が夕張からの撤退を決めた後、会長に退いた関根氏は市長の中田氏にできれば市で買い取ってほしいと耳打ちしたとされている。だから買い取った訳ではないだろうが、松下グループが最後は面倒を見てくれるのではないかという算段が市長サイドにあったのではないか。恐らくそのサイドと言うのは、市にとどまらず、道にもあったはずだ。最終的にこの問題は夕張市による粉飾決算で誰も気が付かなかったとひとことで片付けられているが、いくらワンマンの市長でも、自分ひとりで市の決算を左右することはできない。お金の動きは実に正直でごまかし通すことはできないのは誰でも知っている。内々に関係者の承諾は取っていたと考える方が普通だ。

もうひとつの理由は報道だ。新聞記事の断片とWeb検索の記事を繋ぎ合わせてこのコラムを書いているが、市の財政破綻という事の重大性の割には、掘り下げた報道が極端に少ない。特に、どうして中田市長がリゾート開発に走ったかについての原因を探るものはない。

記事にするものがないのではなく、記事にするなという圧力がどこかからあったとの疑いが濃厚だ。松下グループという大スポンサーを意識したマスコミ内部からの圧力だったかもしれない。

夕張の問題は、このまま深く追求されず素人による無理なリゾート開発で市が財政破綻したと結論付けられ、いずれ忘れ去られるのだろう。それでいいのか、非常に疑問だ。夕張でリゾート開発は無謀だったという声が高いが、本当にそうだったのか。厳しい自然の中で遊園地もロボット館も意味がなかっただろうが、スキー場を核にリゾート開発をしようとしたことには意味があったはずだ。政府も財界も深くからんだ開発だったはずだ。

夕張は観光開発に失敗したから今度は福祉で頑張れとの声もだんだん高くなっているが、それも間違いだと思う。そもそも観光で頑張れという声は、当時では先進的な考えで誰もがそれに期待した。福祉で市を再生するという考え方は、一見目新しいが、20年も前から高齢化社会の到来は分っていた訳で、それに向けて事業化する組織はこまんとある。夕張がこれからは福祉の時代だと福祉事業に特化すれば、これからは観光の時代だと踏み込んだ道と同じ道を歩むことになる。それは破綻の道だった。

肝心なのは、なぜ夕張市が観光の道へ走り、リゾート開発をしたのかだ。それを誰とどうやってやったのかが分らない限り、夕張の明日を論じることはできない。


【岸コラ】関連コラム:夕張市破綻は、日本経済破綻の序章か。

参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2007:「松下幸之助」

[追う]「トマム」破たん、村長辞任の占冠 リゾートのツケ重く=北海道 [2004年7月4日読売新聞東京朝刊]

産炭地活性化を支援 観光・研究施設を誘致/通産省が方針 [1988年4月13日読売新聞東京朝刊]

南太平洋の支援強化 倉成外相、豪首相と一致 [1987年1月8日読売新聞東京朝刊]

参考サイト:

夕張市立病院 その4

松下幸之助の生涯

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