紀子さまの「愛育病院」と「神奈川県立足柄上病院」 「グレーゾーン金利」を生んだ「グレーゾーンの官僚」

「天皇の人権」と「国民の人権」

岸田 徹 【岸コラ】
2006年9月12日(火)

秋篠宮の親王の名前が悠仁と決まり、「近く皇族の戸籍簿である皇統譜に登録される」と朝日新聞電子版は報じた。戸籍も皇統譜も所轄は法務省だ。

少々前の話になるが、関西大学の教授で北朝鮮の民主化運動家の在日朝鮮人三世、李英和さんが参議院選挙で大阪選挙区から立候補しようとしたところ、氏名確認のための戸籍謄本や抄本がないという理由で、立候補届出が受理されなかったことがあった(1992年7月)。

また、それより以前の読売新聞の解説記事には、論説委員が東京都の選挙管理事務所に、皇族に投票所入場券を出しているかと問い合わせたところ、出していないとの回答だっという。理由は、公職選挙法の附則に「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する」と書いてあり、皇族には戸籍法が適用されないからだとの回答だった。(1988年7月1日[とれんど]法の下の平等と皇族)

日本の憲法の第一行目には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と記されていて、選挙権と被選挙権は日本国民に与えられ、また守らなくてはならない重要な要件としてかかげられている。

これが、戸籍に載らないと与えられない権利であるということは憲法にはもちろん書いていない。また、日本国民であることを規定している憲法第10条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあるその法律は国籍法だが、その法律にも戸籍がないと国民ではないという規定はない。

日本の象徴である天皇に将来なる可能性が高い秋篠宮家の悠仁親王も、戸籍に載らないので今のところ選挙権も被選挙権もないことになる。

現在の憲法では保障されたいくつかの重要な権利がある。これらの権利は基本的人権を享有するために明確に規定されたものだ。例をあげれば、第13条の幸福追求権、平等権(14条,24条,26条)、公務員の選定罷免権(15条)、国家賠償請求権(17条)、奴隷的拘束及び苦役からの自由(18条)、思想及び良心の自由(19条)、表現の自由と検閲の禁止(21条)、職業選択の自由(22条)、外国移住及び国籍離脱の自由(22条)、学問の自由(23条)、婚姻の自由(24条)、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、団結権・団体交渉権・団体行動権(28条)、財産権(29条)、法定適正手続・人身の自由(31条,39条)、裁判を受ける権利(32条)、刑事賠償請求権(40条)などだ。

この中で、皇族に認められ実際に行使できる権利または自由は、奴隷的拘束及び苦役からの自由、生存権、教育を受ける権利、人身の自由だけだろう。それ以外は皇室典範の規定と慣例それに戸籍の関係で実際には認められていないものばかりだ。

憲法の第一行目の文は先に書いたとおり選挙のことだが、第一章はご承知のとおり天皇についてだ。その規定の第一条は、天皇が日本国の象徴であり、国民統合の象徴で、その地位は国民の総意に基づくと規定してある。

現憲法を起草する段階で、マッカーサーの命令で集められたGHQのメンバーが天皇をどのように位置づけるかを議論した際、「象徴」であるという意見で一致したと言われている。その「象徴」は彼らの言葉では、シンボル(symbol)だ。シンボルのsymはシンフォニー(symphony)のsymで共にという意味だ。シンフォニーは共の音で交響曲、シンボルのbolは投げるという意味で、共に投げて比べるというところから意味が成り立っている。

日本人が思い描く「象徴」は、鳩が平和を象徴したり、白のウェディングドレスが純潔を象徴したりと、抽象的なものを具体的に例えることを意味している。だから、日本の皇室は国民が理想として描く家族像などがそのまま投影されることを望まれたりする。

ところが、「シンボル」と言った彼らは、語源から想像すると、抽象的で分らないものを比較することによって分らせようとして使用したはずだ。何を比較したかというと、自由と権利を与えられた国民とそれを剥奪された天皇。それでは、シンボルにならないではないかと思われるだろうが、自由と権利が与えられた国民を強調するには、それと対照的なものが近くにあるのが効果的だ。それまでの天皇主権国家から、国民主権に移ったことを強調するには、不自由な天皇を象徴とすることによっていっそう強調される。ちょうど、ニューヨークの「自由の女神」の足が鎖で繋がれているようなものだ。

なんで、そうなったか。これはあまり議論されないが、天皇の戦争責任にあったのではないかと思う。天皇の戦争責任については、敵国に対する責任と国民に対する責任の両方について結局追求はおろか議論もされないまま終わってしまった。天皇の戦争犯罪については、中国をはじめ多くの連合国の間で追求する動きがあった。また、国民の中でも天皇の責任は当然あるとする声が多数だった。それをGHQが不問にした代償として、天皇から一切の権利を剥奪したと考えるのは無理のある見方ではない。

GHQが考えたその「シンボル」が、日本では戦争を否定し平和を願い豊かな経済生活を求めた国民生活の「象徴」と変化した。そのために、天皇や皇族の人権についてはいまだに国民的な議論がなされないままだ。

戦争責任を追及されてもおかしくなかった昭和天皇はすでにない。このまま皇族の人権を考えずに男系か女系かを議論することはもちろんナンセンスだ。今上天皇は昭和天皇の時代から皇族だったので、その言動は昭和天皇の戦争責任に通じるととらえられるものもあったはずだ。しかし、次の天皇ではそのようなことはない。

今の天皇を初め皇族の基本的人権について議論をしない現状は、日本が基本的人権の意識が低いことをそのまま表している。家庭でも学校でも会社でも社会でも基本的人権が無視されていて、それに耐えるのが人のためになるという意識がどこかにあるから、雅子さまが人格を否定されても、「そのぐらいどんな人間でもある」と助けようとはしない。今のままで天皇が日本国の象徴だと言うのなら、それは権力に打ちのめされた基本的人権を守らない日本国民の象徴そのものになってしまう。

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【サカスト】 天皇の人権

参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2006:「基本的人権」「憲法」

在日朝鮮人 被選挙権求め提訴 「立候補不受理は不当」/大阪地裁 [1993年2月19日読売新聞大阪朝刊]

国会論戦のポイント 中曽根首相の歴史・政治観 [1987年7月18日読売新聞東京朝刊]

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