五嶋龍さんと五嶋みどりさんの母と龍さんの父 「夕張市の財政破綻」と「日本の行方」

もうひとつの「人間天皇」

岸田 徹 【岸コラ】
2006年8月18日(金)

戦後初の元旦に昭和天皇はいわゆる「人間宣言」を行なった。昭和21年(1946年)1月1日のことだ。まだ戦犯を裁く東京裁判が開かれる前のことだった。天皇を神だと直接的に規定したものはないのだが、明治憲法で主権を天皇に置き中央集権体制で富国強兵策を取った当時の政策により、天皇を神格化させていった事情があった。いつの間にか天皇は「仮に人の姿となってこの世に現れたもの」との存在にさせられていき、絶対的な存在となっていたのだった。

その絶対的な存在から、自分は国民と共にあると宣言したのが人間宣言だ。この元旦のあいさつとも言える天皇の詔書の原文は英文で、敗戦後の日本の占領政策を行なっていたGHQの意思が入り込んでいたことは明白だった。ところが、同時に天皇の意思も相当程度に入り込んでいたことを示す文の構成だった。というのも、人間宣言は中段で、前段には明治天皇の五箇条の誓文が述べられたのだ。

五箇条の誓文は、明治新政府ができたときに(明治元年)明治天皇が国是として神々に誓い大名らがこれを守るという約束を払ったものだ。明治政府の施政方針ともいえるものだ。明治憲法ができたのはそれから20年ほどたってからだから、当時はかなり重要なものだったに違いない。

五箇条とは、かいつまんで言えば(1)衆知を集め政治はその意見に従え、(2)上下の人々が心をひとつにして国家を富ませよ、(3)公家・武家は一体となり庶民まで志を遂げられるようにし目標に向う人々の気持が飽きないようにせよ、(4)古い習性は捨て去り諸国と親しむという世界の正しい道理に基づけ、(5)諸外国に知識を求めわが国を発展させよ――の5つだ。これは、民主主義の発想だと見ることもできる。

昭和天皇は、30年後の記者会見で(1977年8月)このときの第一の目的は、人間宣言より五箇条の誓文で「民主主義が輸入ものでないことを示す必要が大いにあったと思います」と述べた。さらに、マッカーサーの希望で五箇条の誓文の全文を示したことも明かした。

昭和天皇はなんで五箇条の誓文を人間宣言より先に述べたのか。また、なぜマッカーサーは人間宣言より先に明治天皇が関わった誓文を述べることを勧めたのか。この点についての決定的な解明はなされていない。解明されない理由は、昭和天皇とマッカーサーとの会談が秘密にされているからだ。2人の会談は11回行われたとされているが、そのすべてに公式の記録がない。最初の会談は日本人の通訳が入ったが(2回目以降もそうだろうが)、アメリカ人の関係者は一人も同席しなかったという。マッカーサーは、天皇陛下を「Sir」と言いながら迎えたとされ、マッカーサーが6年後日本を離れる時には天皇はマッカーサーの両手を握り涙を流したという。

マッカーサーは本国から日本政府を利用して日本を占領統治せよという間接統治を義務付けられていたことが明らかになっている。日本政府とは天皇制を含むもので、いまやマッカーサーが天皇制を利用して占領統治をスムーズに行なったというのは定説になっている。

天皇のためには命を惜しまぬ国民が日本には存在することをマッカーサーは終戦前から日本研究者にレクチャーを受けていた。それによれば、日本軍部が利用していた天皇をそのままアメリカ軍が利用すれば日本は簡単に統治できるというものと、万一天皇陛下が処刑されれば、アメリカ人が思うキリストが外国人により処刑されるようなもので、到底日本人はその行為を許さず日本を占領したアメリカ兵は日本人ゲリラと戦わなければならないというものだった。(ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて(下)」岩波書店刊)

天皇を利用するためには天皇が戦争犯罪人になって処刑されては困るので、マッカーサーは天皇が戦争犯罪人でない証拠を角から角まで集めさせたといい、同時にA級戦犯容疑者には、天皇制は維持するから天皇に戦争責任を着せるような発言は法廷で行わないよう厳しく迫ったようだ。

それでも昭和天皇を戦争犯罪人にすべきだと主張する人たちは消えることはなかった。内からは陛下のために命を捧げて死んでいった兵士の遺族、あるいは戦時下に弾圧にあった共産党勢力、そしてなにがしかの責任は免れないとした皇室内部。処刑は免れても退位は当然だとする空気が流れていた。外からは、マッカーサーの政策に異議を唱えるアメリカの他の勢力とアメリカ以外の連合国、特に中国。

マッカーサーの回顧録によれば、天皇はマッカーサーと初めて会談したとき、自分はどうなってもかまわない、すべての責任は自分が負うと述べたとされている。ところが、その時の通訳が残した記録が外務省により2002年に公表されたが、その言葉はなかった。東京裁判が始まる前にそのようなことを言っては大変だと通訳がわざと記録から外したという見方が一般的になっているが、はたして実際にはどうだったか不明だ。

ひとつの考え方だが、昭和天皇がマッカーサーに自分はどうなってもいいと言わなかったことは十分考えられる。というのも、天皇陛下がどうなってもいいというのは退位を意味することよりは死を意味することで、もし死を選ぶなら占領軍の戦争裁判で処刑されるよりは、自決の道を選ぶほうが自然ではないかと思うからだ。

実際、天皇の戦争責任を追及したら、国内でも責任は免れないとする空気の方が大きくなっていた。恐らく天皇も歴史を考えれば命が危ないと思ったはずだ。第一次世界大戦ではドイツ皇帝のウィルヘルム2世はその地位が名目的なものとはいえ敗戦で軍と国民の間に責任追及の不穏な動きがありオランダに亡命した。また、ロシア帝国のニコライ皇帝は軍事的失敗はニコライの責任との国民の怒りに退位させられ、その後の内戦で一家全員が処刑されている。

これらのことを考えれば、天皇がマッカーサーに身の安全を願った可能性は考えられることだ。一方、マッカーサーの立場を考えれば、天皇が身の安全を願い、その結果天皇制を維持したのではまったく理由が立たない。そんなストーリーではマッカーサーが内外から批判される。だから、マッカーサーは回顧録に天皇はどうなってもいいと言ったが、結局天皇を中心に新しい平和国家建設に走ることが最も日本が平和になる道だったと歴史を記したのではないかとも考えられる。

話を元に戻して、なぜ五箇条の誓文が人間宣言より優先したかだ。誓文は要約すれば、古い日本の制度を捨て、諸外国に英知を求め国を再建しろと言っているようなもの。明治天皇がそう言っているほど日本の天皇というのは諸外国を尊び仲良くしようとしているという宣伝文句ではなかったのか。つまり、軍部が好戦的で日本国を戦争に導いたが、天皇はもともと平和主義で民主的な存在だと主張することにより、国内外に天皇制継続を訴えたのではないか。そこには、本当は死を選ばなかった人間らしい天皇がいたのではないだろうか。

このような「人間天皇」を語ることは日本ではタブー視されている。象徴天皇になったものの触れてはならない神格化の断片がまだあるからだ。そうなったのもマッカーサーの占領政策の影響が強い。

天皇の戦争責任を追及させないために、GHQはあらゆる手段を使ったが、そのひとつに検閲による言論弾圧があった。これで、国内で天皇の戦争責任を論じることができなくなったばかりか、戦争そのものを検証することができなくなった。日本人はいったいこの戦争を誰と戦ったのかさえ分らなくなってしまった。日本ではこの戦争を「大東亜戦争」と呼んでいたが、GHQはこの名称の使用を許さず、「太平洋戦争」と呼ばせた。戦前と戦後では戦争の名称が違うのだ。

「太平洋戦争」という名前のイメージは真珠湾攻撃に始まる太平洋を戦場としたアメリカとの戦争というイメージが広がる。しかし、そもそもの戦争は日本が東南アジアの国々に侵略したことにより始まった戦争だ。日本の敵は、それら東南アジアの国々を植民地としていたイギリスでありアメリカでありオランダであった。要するに植民地の取り合い戦争だったわけで、植民地での迫害は残念なことにどこの占領国にもあった。武力で占領したわけだから。

マッカーサーは天皇の戦争責任を求める連合国の声が届く前に天皇制を残した新しい憲法を制定した。主権は国民に移った新憲法だが、その第1章は「天皇」で始まる。第2章が「戦争の放棄」で国民の権利は第3章だ。いかにマッカーサーが天皇を大事にしていたかが分る。

昭和天皇がマッカーサーに何を願い出たかはすでに問題ではない。問題なのは、占領政策により日本が第二次世界大戦で何をしたのかがはっきり検証されないまま歴史が進んでしまったことだ。

その後遺症は、靖国問題の外交音痴にとどまらず、拉致問題を解決できない北朝鮮との関係、北方領土問題を解決できないロシアとの関係という人命を巻き込んだ問題も引き起こしている。外交は完全にアメリカなしには考えられない体制も作られてしまった。我々国民が戦争の歴史を知らないから何が問題なのか議論ができないのだ。たった60年前を語れないで戦争をした国々と友好を語ろうといってもそれは土台無理というものだ。

さらに、利用された天皇制のお陰で、人間天皇は形式だけになり、皇室はいまだに皇族の人間性をどう捉えていいのかが不明のままだ。これも国民がどう議論したらいいのか知識が断片的で事の経緯が分らないから議論ができないのだ。これからは、国家と国民の生き方に直接関わる憲法改正論議が始まろうとしている。これも、どういう経緯で憲法が成立したのかがはっきりしないため国民が議論できないでいる。

アメリカが求めた「人間天皇」の実現はマッカーサーにより出来上がったかもしれないが、日本人が求めた「人間天皇」は幻のままだ。そんなものがあったのかどうかさえ分からないでいる。

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紹介図書:

ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」(下)岩波書店2001年5月30日第1刷発行\2,200
本コラムは、同書の読書中に多くのヒントを得て書いています。

参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2006:「五箇条の御誓文」「明治憲法」「明治天皇」「昭和天皇」「ウィルヘルム2世」「ロシア」

昭和天皇・マッカーサー元帥会見録 「戦争責任」言及なし=特集 [2002年10月18日読売新聞東京朝刊]

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