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岸田 徹 【岸コラ】 |
今年最大のスクープだと言われる日経新聞の富田メモ。それは7月20日の朝刊だった。その書き出しはこうだ。
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分った。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。
この記事は何を言いたいかというと、今までどうして天皇陛下がA級戦犯合祀以降靖国神社を参拝しなかったかが不明だったが、日経新聞が入手した富田メモで、その理由はA級戦犯が合祀さた事に天皇が不快を感じたからだという事だ。
では、それまでその理由は全く分らなかったのかというとそうでもない。A級戦犯合祀につて昭和天皇が憂慮していたことは、元侍従長(徳川義寛氏)の手記で知らされていたと言われているし、岩見隆夫氏(毎日新聞東京本社編集局顧問)は、1年ほど前の著書で、中曽根首相が参拝を中止した際(1985年)、富田長官が中曽根氏に「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった。よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」(産経新聞)と伝えたとしている。
それでも、日経が富田メモを歴史的価値が高いと自認する理由は、昭和天皇が靖国神社を参拝しなくなった理由は別にあるとの論議があったからだ。昭和50年(1975年)に当時の三木首相が靖国神社を参拝した際「私的参拝」だと言い、首相の参拝は公的か私的かが議論され始めた。天皇の参拝には公私がつけられないので取り止めることにしたという理由だ。この理由は、元在タイ大使(現博報堂特別顧問)の岡崎久彦氏などが主張していた。富田メモはこの主張を大きく後退させたとしている。つまり、昭和天皇が靖国神社を参拝しなくなった理由が、A級戦犯合祀のためだという事がはっきりしたと日経新聞は書いている。
結局、富田メモの価値はそこにあるという事が、日経新聞のスクープで分かったわけだ。しかし、分らない事もある。そんなに日経が歴史的価値が高いと言うのに、どうやって富田メモを日経が入手したのかの経緯が全く新聞には書かれていない。
もし、日経新聞が昭和天皇の靖国参拝中止理由を史実として後世にしっかり残そうとしていたなら、それが分った瞬間、どうして分ったのかを丁寧に説明したがるのが人情だ。富田メモの存在が分ってしまうと命が危ないという人がいるのなら、経緯を詳しく述べないという事はあっても、どうして述べる事ができないのかの説明は、言われなくてもしたくなるものだ。それらが、全くない。
その経緯については、昨日発売のAERA(朝日新聞社刊)が書いている。それによると、富田氏が亡くなった(2003年11月)後、奥さんが戸棚の中に40、50冊の日記やメモが残されているのを見つけ、その一部を1周忌の際に故人を偲ぶCD-ROMに収めて知人に配った、その後の去年秋ごろ、日経の記者が久し振りに奥さんを訪ねた、懐かしさも手伝って奥さんはCD-ROMを見せ、日記とメモの現物も見せた、さらにそれらを手渡したが、その中に奥さんも読んだ事のない今回のメモが含まれていたと言うのだ。
なるほど、日経は昨年の秋ごろに富田さんの家を訪ね、このメモと日記を入手したという事か。それが事実だとするならば、日経新聞が靖国論争について相当の関心があったのかもしれないという事が分かる。去年の秋と言えば、小泉首相が郵政民営化法案を通すために衆議院を解散し大勝利を収め、反対派のマドンナだった野田聖子議員が国会に戻りながらも民営化賛成票を投じた時期。小泉さんが強さの絶頂を示した時だ。
日経が富田メモと出合った経緯はそうだとしても、もうひとつ分らない事がある。それは、なんで7月20日のこの時期に日経は記事を出したのかという事だ。
もし、日経が富田メモを去年の秋に入手したとするならば、いくら検証が必要だとしても、発表に半年以上かかるのは非常に不自然だ。また、このメモの内容を日経新聞は連載で公表すると大々的に宣伝したのだが、その連載は今日の5回目で終了した。中身は実にお粗末。とても史実として歴史的価値が高い読み物とは言えない。単なる昭和天皇の人柄を感じさせるお茶の間コラムの様相だ。何のために半年以上検証していたのかは全く分らない。
そこで、疑いたくなるのが次期総裁選と富田メモとの関連だ。実際、この記事が掲載された次の日に福田元官房長官が総裁選の不出馬を宣言した。
AERAはこの点について「経済界と日経の二人三脚説」を取り上げている。それによれば、経団連の奥田前会長や今井名誉会長らが、成長市場の中国との関係を重視し、靖国参拝は慎重にして欲しいと何度も小泉首相にお願いしたのだが、何回目かに「何度言ったら分るんだ」と本気で怒り出したことがあり、それ以来財界は首相の説得をあきらめたというのだ。小泉さんはいくら靖国参拝をしてももう辞める人。今以上の影響は考えられないが、安倍さんがそれを継承するとなると事態はさらに悪化する。そこで、安倍さんの政権構想ともいえる著書「美しい国へ」の発売日に合わせて富田メモをぶつけたというのだ。
まるで、スペースシャトルを打ち上げるアメリカ建国記念日に合わせて北朝鮮がテポドンを発射するような嫌がらせだ。しかし、AERAが書いている財界首脳の憂鬱はよく分る。もう20年も前から中国の成長性に目を付けて日本の財界は政府と一緒になって莫大な投資をしてきた。日中友好は田中首相のとき(1984年)以来続けて努力してきたが、共産党の政策に挫折する局面も随分経験し、日本の財界はさんざん大損をしてきた。それが、共産党の開放政策でここに来てようやく先行投資を回収できるようになってきたところに、小泉さんの登場ですっかり政府間の交流が冷めてしまった。そこにアメリカやヨーロッパ、ロシアが進出し、官民合わせた首脳外交を展開している。これでは、日本の財界首脳が弱りきるのは当然。
恐らく、財界は一番人気の安倍さんに相当困惑していたはずだ。そこで、官房長官当時から小泉さんのアジア外交には批判的だった福田さんを強力に推していた事は容易に想像ができる。これが功を奏したのか世論調査の支持がダントツ安倍さんの傾向から、福田さんに傾いてきた。ところが、7月5日のテポドン発射で、安倍さんの指導力が発揮され、北朝鮮制裁決議への動きが素早く、再び安倍さんダントツの人気になった。
富田メモは福田さん有利の材料に使われるはずだったのだろうが、その時を逸してしまった。恐らく、テポドンが発射された時点で、福田さんは国民の関心は安倍さんに向けられると判断し総裁選を断念したのだろう。財界や日経は、その断念を事前に知っていたが、安倍さんの対抗馬を今から擁立するのは困難だと考えたのだろう。そこで、福田さんのための援護射撃弾になるはずだった富田メモを、安倍さんに靖国参拝をできなくさせるよう改造して発射させた感じだ。去年の秋に入手したネタにしては、専門家2人の座談会で一人の専門家が「今日実物を初めて見た」と富田メモのことを語るなど(7月23日日経)、日経のお膳立てが実にずさんなのが「改造」を物語っている。
問題は、この富田メモが財界主導で流されたものかどうかだ。もし、財界首脳が日中関係のこれ以上の冷え込みを恐れて、日経新聞に富田メモというミサイルを発射させたというのなら問題はないはずだ。日経新聞が財界寄りに行動することは多くの日経読者が承知できる事だからだ。
しかし、もしこれが、日経新聞主導で行なわれたとするならば、問題は大きい。いくら財界の新聞だとは言え、報道はあらゆる権力から独立して行なわれないといけない。新聞社がニュースの渦中にあってはいけないし、ましてその渦を自分で作っては絶対にならない。
もし、財界主導で富田メモが安倍さんの靖国参拝を阻止するために故意に流されたとするならば、それを批判できるメディアはある。朝毎読の三大紙や、右派の産経新聞なども批判できるし、日経新聞もあるいは自己批判ができる。真実がどこにあるのかを読者は発見できる構図の中に存在できる。しかし、日経新聞が財界を巻き込んで富田メモを流したとするならば、これを批判できるメディアは残念ながらない。日本の大新聞は新聞論争をした経験が近年ない。これはタブーになっている。もし、そのようなことになれば、イメージ低下を嫌う広告主が離れていくからだ。
そんなことはまれなケースだと思われがちだが、実際には、新聞社と取材源の関係は実に微妙だ。さらに、どこの国のメディアもそうだが、マスメディアは数多くの株主に支えられているわけではない。ごく一部の統制できる株主で運営されている。日経新聞も社員株主で運営されている会社だ。表向きには外部の敵対的な勢力から報道の自由を守るためだと説明されるが、実際には経営者が批判されずに報道を行なえる立場を作り出している。さらに、日経新聞は大企業の中枢に入り込んだ取材を展開している。いわば日本株式会社の広報の役目を演じている。これが、万一、戦争への道を辿ることになるとだれも止められないのだ。
戦争は儲かるからするので、正義や人権のためにやるものではない。しかし、儲かるのは一部の企業家と権力者であるにもかかわらず、戦争を起こすには国民的な支持を得なくてはならない。そこにマスコミは重要な役割を果たす。
日経新聞が自らニュースを作るようなことをすれば、その道は確実にやってくる。戦争報道が儲かることは【サカスト】がすでに警告していることだが、さらに今日では、メディア産業そのものが巨大化し、世の中を評価する役目から、世の中そのものになってきている点は注意すべき事柄だ。注意する役目は、新聞社の株主や政府や広告主ではなく、すべてが読者に課せられている。富田メモの報道は、そういった視線で見ないと本筋が見えない。
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参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2006:「田中角栄」
【蛙の遠めがね 石井英夫】陛下のご参拝を幻覚した - [2005年7月18日産経新聞]
靖国神社A級戦犯 昭和天皇「合祀」不快感で分祀論に勢い 参拝判断に影響も [2006年7月20日読売新聞東京夕刊]
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