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岸田 徹 【岸コラ】 |
日本銀行総裁、福井俊彦氏の金融資産が今日公開された。2006年3月末の金融資産は、預貯金が1億8,660万円、国債が1千万円、投資信託が3,510万円だという。この他に奥さんの金融資産が5,323万円。それと、阪神電鉄と高島屋の株式をそれぞれ2千株と5千株保有しているとこの事だ。総額2億8,800万円(ロイター)(共同伝では3億4千万円)。
日銀総裁の給与は年間3千4百万円あまりだ。日銀法によって日銀の役員は報酬のある他の仕事には就けない。福井さんはかつて日銀の副総裁を辞めたことがある。その際、退職金を6千万円ほど受取っているが、日銀総裁の3年余りとこの退職金、それに日銀の年金を全部合わせても3億円の金融資産を持つようにはなれない。以前から資産を蓄積したのか、それとも、やはり村上ファンド同様の手口で、金融資産を相場の上昇で二倍にしたのだろうか。
それにしても、就任時に資産を公表するのならともかく、世間の風当たりが強くなって、申し訳ないと幾重にも詫びた後に自分の資産を公表するのは、決していい気持ちではないはずだ。しかも、村上ファンドの1千万円以外は住宅ローンに追われる姿だというのなら世間の同情も得られるだろうが、さらに風当たりが強くなりそうな結果だ。どうして、そこまでして日銀総裁にこだわるのだろうか。実に不思議だ。恐らく、辞めないのではなく、辞めさせてくれない事情があるに違いない。
福井さんは、昭和10年(1935年)生まれだ。東大法学部を出てすぐに日銀に。順調な出世街道を歩み日銀のプリンスと言われた。総裁本命のトップを走っていた。バブルを崩壊させたやはり日銀生え抜きの三重野総裁の秘蔵子としても有名で、その三重野総裁のときに理事になった。
三重野総裁退任時にも次期総裁候補に名前が上がったが、まだ若いというので次になった。しかし、それは表向きの理由。実は、日銀の総裁は、大蔵省の事務次官経験者と日銀幹部が交代に選ばれる慣例が続いていて、三重野さんが日銀出身なので、次は大蔵出身の番だったため、福井さんは足踏みすることになった。
三重野さんの次は、さくら銀行会長だった松下康雄氏がなった。さくら銀行は三井銀行と太陽神戸銀行の合併でできた銀行だが、松下さんは太陽神戸銀行の頭取だった。太陽神戸銀行は、太陽銀行(東京)と神戸銀行(兵庫)の合併でできた銀行だが、両行の対立が合併後激しく、頭取を大蔵省から仲裁役的に入れていたとされる。松下さんも大蔵省事務次官を勇退し、太陽神戸銀行に天下った。
松下さんが日銀総裁になったときに福井さんが次期総裁がらみで副総裁になった。そこまでは順調だったのだが、ここで思わぬつまずきがあった。日銀の証券課長が地検特捜部に逮捕されたのだ(1998年3月11日)。この課長は、日銀が景気動向を分析した「情勢判断資料」を公表前に日本興業銀行などに漏らしていた。その見返りに、興銀や三和銀行などから89回の飲食やゴルフ場などの接待を受けていた。その額は430万円。その他にも、住友銀行など4行から600万円の接待を受けていたというのだ。
この不祥事の責任を取って、松下総裁は辞任を表明。ほぼ同時に福井さんも辞意を表明した。総裁と副総裁が同時に辞任するのは極めて異例だ。本来なら、総裁が辞任をして責任を取り、その後の態勢を副総裁が確立するのが常識だ。なぜなら、日本の金融政策を担当する責任は重く、継続性が重要である点と、総裁がもしもの時には副総裁がその任に当たるために副総裁があるからだ。
それでも、副総裁も一緒に辞めたのは、大蔵、日銀の交互の総裁人事の慣例を守るためだったに違いない。本来日銀側の責任でこんな不祥事が起こり、それで大蔵側の総裁が辞めさせられて日銀側の副総裁が総裁になったのでは、間尺に合わないという大蔵側の論理が働いたのだろう。
だから、次の総裁も大蔵側から出すのが当たり前という圧力が大蔵省からあったに違いない。ところが、そうはいかない事情が大蔵側にもあった。「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件だ。事の発端は、大蔵省の銀行検査官があさひ銀行から接待を受けていたというものだったが、それがどんどん広がり、高級官僚が新宿にある楼蘭というノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けていたことが判明した。その店の経営者は公然わいせつ容疑で逮捕された(1998年3月19日)。
この事件で、大蔵省に対する風当たりが強くなり、大蔵省解体に拍車がかかった。当時の三塚蔵相は辞表を出さざるをえなかった。
そんなことで、日銀の不祥事に大蔵省の不祥事が重なって、松下総裁の後任を大蔵側から出すことができなかった。そこで、今度は民間から総裁をという声が高くなり、日商岩井の社長を歴任し経済同友会の代表幹事だった速水優氏が総裁に就任することになった。速水さんは経済界出身と言われたが、実は日銀の理事を辞めて日商岩井に入った純然たる日銀マンだ。
ゼロ金利政策を実行したのは速水総裁だ。ずいぶん思い切ったことをして、批判が強かったが、なんとか任期を全うし、さて、次の総裁はという時、サプライズ人事に対する期待が高まった。日銀総裁は首相が選び、衆参両院で承認されることになっている。景気の閉塞感が漂う中で、きっとサプライズ人事があるという期待に反して、小泉さんは速水さんの継承と目される福井さんを日銀総裁に指名したのだった。
世間では、福井さんは小泉さんが選んだと言われているが、実はそうではない。福井さんを押したのは、財界と当時の官房長官だった福田さんだ。小泉さんは民間人を入れたがったが、だんだん熱が冷めてきたという。もうひとりの改革者だった竹中さんもウシオ電機会長の牛尾さんなど民間人を押したが、副総裁に竹中さんに近い岩田一政(内閣府政策統括官)氏をあてがわれ終わってしまった。
福井さんは経団連(奥田碩会長)も日本商工会議所(山口信夫会頭)も経済同友会(小林陽太郎代表幹事)も全部が押した。
日銀というのは俗に通貨の番人と言われるが、そんなものではない。通貨の量を調節するだけではなく、国の資金の出し入れも行なっていて、国の財政事情を把握している。また、全国の銀行の口座を持っていて、我々が銀行間で送金をすると最終的には日銀のその口座で決済してくれる。その口座を持っているために、日銀は全国の銀行に検査に入る。銀行の内情を把握するという事は、その融資先の事情も把握するという事で、いわば日本全国の金融情勢を把握できた上で、金利を上げ下げしたり、お金を出したり引っ込めたりするのだ。
国家財政から民間企業の資金繰り、我々の財布の事情に至るまでの情報を把握している組織は日銀以外にはない。その日銀が、通貨の調整をするのだ。つまり、日銀の情報を事前に知れば、いつ通貨の量がどのぐらいになるかを知ることができ、そのために株価がどうなるか、または債券相場がどうなるかは予想がつくのだ。
だから、不祥事を起こした日銀の課長は各銀行から接待漬けになったのだ。つまり、日銀の調査情報を他より先に知れば、お金の動く方向が予測でき、大量の資金を動かすことができる銀行は大儲けすることができるという算段だ。
福井さんは優秀な人かもしれない。しかし、不祥事で日銀を辞め、富士通が運営するシンクタンクの理事長になった。いわば民間の世話になった訳で、その民間の財界から一押の日銀総裁は、当然のことながら民間に恩返しをする。日銀の情報は、恩返しに値するほどの価値がある。そんな「価値ある情報」を真っ先に知りうる立場の日銀総裁が、投資信託や株式を保有することはいいはずがない。部下の不祥事で副総裁を辞めたとき以上の責任がある。そんなことは、本人が一番よく知っているはず。
福井さんが、辞められないのは恐らく二つの事情だ。今辞めたら、名誉ある退任にはならない。そんな事情で退任させたらどんな情報が漏れるか分らないので、福井さんから恩恵を受けた人たちが防御しているのがひとつ。もうひとつは、日銀―大蔵の順番人事で、今度は大蔵側だという思いが旧大蔵省サイドにあるはずだ。ところが、旧大蔵省は解体され、財務省と金融庁に別れた。その後はじめての総裁人事で、旧大蔵内部で調整がついていないのではないか。これに、福井さんを押した福田さんのポスト小泉が絡む。
各界のエゴのため、次の総裁の名前が出てこない。そのため、福井さんは辞めたくても辞められないのではないか。
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参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2006:「日本銀行」
「国民とギャップあった」 福井・日銀総裁、参院委で陳謝 [2006年6月23日読売新聞東京夕刊]
[なるほど!経済]日銀総裁の権限と仕事 福井俊彦氏が来月20日就任 [2003年2月26日読売新聞東京朝刊]
日銀新総裁 揺れた人選、最後は本命 民間人に強い拒否反応 [2003年2月25日読売新聞東京朝刊]
「小泉流」限界露呈 日銀新総裁、意外性なし 与党も冷ややか [2003年2月25日読売新聞東京朝刊]
政府・与党、日銀に「金融政策」大合唱 “3月危機”回避狙う [2003年1月8日読売新聞東京朝刊]
次期日銀総裁 財界、福井氏で一本化 有力候補に [2002年12月21日読売新聞東京朝刊]
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速水日銀総裁の早期辞任を否定/福田官房長官 [2001年5月9日読売新聞東京夕刊]
日銀総裁後任、「福井氏は適任」 塩川財務相が有力候補と指摘 [2001年5月2日読売新聞東京朝刊]
速水日銀総裁が辞意 健康不安理由に 後任、福井元副総裁を軸に [2001年4月27日読売新聞東京夕刊]
経済同友会の副代表幹事に福井俊彦元日銀副総裁起用へ [2001年3月2日読売新聞東京朝刊]
商船三井の社外取締役に椎名、福井両氏が就任 [2000年4月21日読売新聞東京朝刊]
富士通総研経済研究所初代理事長に福井前日銀副総裁が就任へ [1998年10月22日読売新聞東京夕刊]
松下前日銀総裁の退職金3400万円 旧支給基準に比べ3割減 [1998年4月11日読売新聞東京朝刊]
官僚接待に使われた、ノーパンしゃぶしゃぶの経営者ら逮捕/警視庁 [1998年3月20日読売新聞東京朝刊]
日銀新総裁に速水優氏 政治主導で決まる 揺らぐ独立性(解説) [1998年3月17日読売新聞東京朝刊]
福井日銀副総裁が首相に辞意伝えていた 接待汚職幹部の逮捕時に [1998年3月17日読売新聞東京朝刊]
接待汚職事件 松下日銀総裁が橋本首相に辞意 後任人事、難航も [1998年3月12日読売新聞東京夕刊]
日銀課長逮捕 430万円収賄容疑 東京地検、上層部関与も解明へ [1998年3月12日産経新聞東京朝刊]
三塚蔵相ぶ然「辞表出す」 “包囲網”に抗し切れず キャリア官僚、不満も [1998年1月28日読売新聞東京朝刊]
永島日銀理事が再任へ 大蔵省が方針 [1997年5月20日読売新聞東京朝刊]
松下氏が日銀次期総裁に 民間トップの業績評価 “大蔵省独占”に批判も [1994年11月11日読売新聞東京朝刊]
[今週この人]次の次の総裁当確? 日銀理事の福井俊彦氏 [1994年6月5日読売新聞東京朝刊]
[視界]日銀新幹部人事 “バブル後”へ布陣 信用維持の成否握る [1992年2月4日読売新聞東京朝刊]
日銀理事に福井俊彦総務局長 [1989年9月13日読売新聞東京夕刊]
[サロン]今年の夏も箱根の保養所でキマリ 福井俊彦・日銀営業局長 [1987年7月4日読売新聞東京朝刊]
参考サイト:
福井日銀総裁の金融資産は2億8800万円、野党は辞任要求姿勢
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