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「大変だから来なくていい」社会保険事務所長の裏表

岸田 徹 【岸コラ】
2006年6月20日(火)

社会保険事務所長から事業主宛に面白い通知が来た。「算定基礎届、総括表及び総括表附表の提出について」と題されたものだ。

「算定基礎届」というのは、従業員の1年間の健康保険料と厚生年金保険料の金額を決定するのに基礎となる数字の届出だ。簡単に言えば、給料の額で保険料が決まるので、会社がどの従業員にいくら給料を支払っているのか教えろというもの。

サラリーマンの税金は給料から天引きされ、会社が納税者に代わって税金を納付しているが、健康保険料と厚生年金保険料も同様で、サラリーマンの給料から天引きした保険料の半分と会社負担の半分を合わせた全額を社会保険庁に会社が納めている。

この制度は「世界に誇る」もので、もしこの徴収制度がなかったら、税金も厚生年金保険料も国民年金並みに3、4割ぐらいの人が納めなくなるのは間違いない。日本の企業は納税事業に多大に貢献している。大変な手間がかかるのに、その事務負担はすべて企業が持っている。こういう国は世界広しと言えども、日本だけだろう。恐らく共産主義、社会主義国家もうらやむほどのシステムだ。

さて、どんな通知書かというと、こういうものだ。

事業主の皆様には、日頃から社会保険事業の運営にご協力いただき、厚くお礼申し上げます。

平成18年度算定基礎届の提出期限が近づいてまいりましたので、算定基礎届、総括表及び総括附表の用紙を送付いたします。

従来、算定基礎届等の提出につきましては、すべての事業主の皆様に来所いただき賃金台帳等の確認をさせていただいていたところですが、今年度より事業主様の利便性を考慮し、数年に一度順番に来所いただき、算定基礎届や賃金台帳等を確認させていただくことになり、指定された年以外は原則として、郵送により算定基礎届等を提出いただくことになりました。

貴事業所の本年度の提出につきましては、同封の返信用封筒により平成18年7月3日(月)から7月14日(金)までに郵送によりご提出いただきますようお願い申し上げます。

なお、直接、社会保険事務所にお持ちいただく場合は、会場の状況により多少お待ちいただく場合もありますのであらかじめご承知ください。

役所の文面にしては、決定的におかしな箇所が二つある。ひとつは、事業主の利便性に考慮して、数年に一度来所すればいいというくだりだ。数年とは、5、6年なのだろうが、決められていないところがおかしい。もうひとつは、最後の行にある、来るんだったら待つこともあるので注意しろというもの。社会保険事務所に行くのに「会場の状況」で待つこともあるというのは、いったいどんな状況だと言うのか。

ところで、この算定作業は実に面倒なものだ。算定基礎届に従業員ごとに最近の3ヶ月間の給料から平均額を出して、給与の額を決定し、それを総括表に合計数値を書き写す。さらにアンケートのような総括附表に同じような数字を書いていく。

この3つの表を完成させた上で、社会保険事務所が指定した日にちと時間にその表を持参する。持参時には、算定表の元になる給料の額を証明する賃金台帳や出勤簿などを一緒に持って行かなくてはならない。

電算処理で電子申請により提出することもできるが、そんなことができるのは総務部と電算部がしっかりしている大企業や中堅企業だ。手間はかからないかもしれないが、その処理体制を維持するのは大変な費用がかかる。零細企業は、手計算で一日仕事だ。さらに、パートタイマーの出入りが激しければ、人数を確定するだけでも大仕事になってしまう。とても片手間にできる仕事ではない。その上で、持参の日にちと時間を指定されるのだからお役所仕事の典型だ。しかし、そこまでしなくてはならないのも、給料の額をちゃんと確認して、法律で決められたとおりの保険料を公平に集めるためだった。

それが、来なくていい、いや来てもらっては困ると言うのは、来たついでに最近の社会保険庁の不祥事に対し文句を言われるのが嫌だからに決まっている。制度の不備に加え、社会保険庁の許されない不祥事にまったく対処していない厚生労働省が、いざこざを回避するために決めたに違いない。「面倒だから来なくていい」というのは事業主への思いやりではなく、社会保険庁の悲鳴なのだ。

本来役所は決められたことをきちっとやるのが仕事。どんなに非難されようとも法律で決められたことを遣り通すのが役人の本分だ。

今までは毎年呼び付けていた、今度は数年に一度でいいという。数年に一度なんていう決め事は役所の事務ではありえない。裏を返せば、今まで毎年呼び付けていたのも、きちんと法律で決められていた事ではないという事だ。役人が勝手に呼び出していたに過ぎないという事になってしまう。ここに、官僚行政の裁量が入り込んでいる。どうして、そんな仕組みになっているのか。カラクリはこうだ。

事業主が従業員から保険料を集めなければいけないというのは、法律で決められている。厚生年金保険法の第82条だ。その金額も第20条で決められている。だから、その通りにしなければ、事業主は6ヶ月以下の懲役か50万円以下の罰金刑に処せられる。

この社会保険制度の事業そのものは政府が責任をもって運営することになっているのだが(同第2条)、その事務を執り行うのは厚生労働省から独立している外局の社会保険庁ということになっている(厚生労働省設置法第25条)。その責任者は社会保険庁長官だ(同第26条)。だから、事務の方法についてはすべて社会保険庁長官の責任になる。厚生労働大臣の責任ではない。

ところが、これからが問題だ。厚生労働省設置法では社会保険庁長官を責任者だと明記しているにもかかわらず、厚生年金保険法では、権限の委任と題し、社会保険庁長官の権限の一部は政令により、社会保険事務局長に委任することができ、社会保険事務局長に委任された権限は、政令で社会保険事務所長に委任することができると決められている。(第4条)

政令は法律ではない。日本には法律以外に厳しい二つの規則がある。ひとつが、政令で、これは内閣が決める。大臣たちが集まった閣議で成立する。もうひとつは省令で各省庁が大臣の名前の下に決める。いずれも法律に照らし合わせて、細かいことを規定するというのが政令と省令の表向きの存在理由だ。

法律は国会で決議されるので、国民が選んだ人たちが決めるものだ。いわば我々が選んだ人たちが我々の代わりに議決してくれると解釈できる。

ところが、内閣で決められる政令は、国務大臣が決める。国務大臣は総理大臣が任命した人たちで、我々が選んだ人たちではない。省令も同じ。閣議決定の政令も、大臣が発令する省令も、実際は官僚が作るもので、それを大臣が署名しているに過ぎない。

社会保険庁の事務は、政令で社会保険事務所長に委任できるという事は、いくら社会保険庁が厚生労働省から独立しているとはいえ、結局厚生労働省の役人が作る政令で何でも決められるという事になる。

民間から長官を持ってきても意味がない構成が官庁にはバッチリできているのだ。それを法律がバックアップしている。これが官僚国家の構図だ。こんな構図は、厚生労働省以外にもいっぱいある。

自分たちの都合が悪くなれば、いくらでも方法を変えられる抜け穴をちゃんと用意して官僚が法律を作る。その責任はその法律を成立させた国会に押し付ける。こうして、一部の高級官僚が責任を取らないまま、日本を支配する。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2006:「社会保険庁」「政令」

参考サイト:

厚生年金保険法

厚生労働省設置法

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