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岸田 徹 【岸コラ】 |
ボクシングのヘビー級で世界チャンピオンに3回もなったモハマッド・アリ。彼は1942年にカスアス・マーセラス・クレイ・ジュニアとしてアメリカのケンタッキー州に生まれた。モハマッド・アリは彼のボクサーとしての名前ではない。彼は名前を変えたのだ。
変えた名前はイスラム系だ。モハマッド・アリは東京オリンピックの前のローマ・オリンピックで金メダルを取りプロ入りした。その後わずか20戦目で世界チャンピオンになったが、その年にイスラム教に入信し、モハマッド・アリと名前を変えた。
このイスラム教はただのイスラム教とは訳が違い、ブラック・ムスリムというアメリカ黒人運動グループだ。イスラム教の戒律に従ってはいるが、活動はアメリカ国内にアフリカ系アメリカ人の国家を樹立することだった。アフリカ系アメリカ人とはニグロのことだ。ニグロ(Negro)は黒人を意味する言葉だがいつの間に差別用語になり、今ではアフリカ系アメリカ人(African American)が一般的に使われている。単に肌が黒い人という意味ではなく、アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られた人たちの子孫を意味する。
アメリカでは1863年にリンカーンが奴隷解放宣言をしたが、その100年ほど前からアフリカで人をさらい、一度西インド諸島で「ならす」という課程を経てから、アメリカ大陸に運び「調教」していた。アメリカ人は、アフリカの文化をいっさい受け付けないやり方でアフリカ人を労働力にしたのだ。
ブラック・ムスリムは、奴隷解放後も今日まで続く黒人人種差別に対し、その解放を標榜するグループのひとつだ。かつては同じ黒人人種差別に抵抗したキング牧師の非暴力運動に反対し、攻撃的な活動を展開した。そのときの中心的指導者だったマルコムXを取材し、「プレイボーイ」誌に載せたのがアレックス・ヘーリーだった。
ヘーリーはその後、黒人として自分の祖先をたどった「ルーツ」を書いて、全米に大きな衝撃を与えた。「ルーツ」はテレビドラマにもなりアメリカ中の話題を独占した。自分のルーツを探るのがちょっとしたブームにもなったが、何より自分たちのちょっと前の祖先がアフリカから連れてこられた奴隷だったり、その奴隷を買っていたという認識を再びさせたことが大きな衝撃を与えた一因だった。ヘーリーの祖母の親は奴隷だった。国外の反響も大きく、26カ国の言語に翻訳された。日本でもテレビ朝日が放映し、主人公のクンタ・キンテに釘付になった。1977年、ヘーリーはこの「ルーツ」でピュリッツアー特別賞を受けた。
横田めぐみさんはこの年に失踪した。
イギリスの植民地だったアメリカに、労働力を持ち込むためにイギリスが「王立アフリカ会社」を設立したのはおよそ330年前だ(1672年)。ブラジルやカリブ海地域のサトウキビのプランテーションがアフリカ人の導入で成果を上げていたのが、モデルとされている。
このようなヨーロッパ諸国とアメリカによる奴隷貿易は3世紀ほど続くが、その間どのぐらいの奴隷が「取引」されたかははっきりした数字がない。しかし、その子孫たちは、現在アメリカの人口の約12%と言われ3千万人ほどいる(1990年)。
その解放の歴史はすさまじい。今でも完全に解放されたとは言えない。それは単に肌の色が違うからではなく、奴隷だった過去の身分が迫害を受けていると言える。
この迫害を徐々に解放に向かわせたのは戦争がきっかけだった。戦争時に白人の仲間割れに乗じて黒人奴隷の存在が重用される歴史で、奴隷解放や黒人差別が徐々に薄れていく課程が繰り返された。
アメリカ独立革命では、イギリス側について闘う奴隷には自由を与えるという王党派の呼びかけに数千人の奴隷が応じた。独立軍側にも約5千人の奴隷が従軍した。戦後、黒人奴隷たちが要求したのは「解放」、「待遇改善」、「アフリカへの帰還」で、要望はひとつにまとまらなかった。
南北戦争ではリンカーンが奴隷解放宣言をするが、解放された奴隷たちの生活は貧困で、白人地主らは黒人の土地所有や移動を法律で制限したため、生活力がないまま放り出された恰好だった。
農村を追われた黒人たちは都市部に移住するが、白人労働者は自分の生活を守るため、黒人に対し差別と敵対を繰り返した。
第一次世界大戦では、都市部や工業部門の白人労働者が兵役に着いたので黒人がそこに進出した。さらに、補給部隊にも動員された。黒人だけの戦闘部隊も編成され、ライン河を先陣を切って進んだ。しかし、復員すると、自分たちの職場を守ろうとする白人の反発にあい、人種差別が横行した。
大恐慌時代には、失業と貧困が白人社会を襲い、社会改革を進めようとする白人運動に、黒人が合流した。黒人だけで組織する寝台車ポーター組合などが中心になって全米黒人会議が結成された(1936年)。これらの票が民主党に投じられるようになり、ルーズベルト大統領が誕生した。
ルーズベルトのニューディール政策で黒人は公共住宅の建設に雇用された。しかし、ルーズベルトの政策もここまでで、南部の白人の支持を失うことを恐れ、リンチ取締法を後退させるなど、南部では人種差別が続いた。また、連邦住宅の計画では人種隔離策が続いた。
第二次世界大戦で、連合国側が「4つの自由」(表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由)を掲げた。これに黒人たちもその自由を得ることができるのではないかと期待した。その期待は国家に貢献することで自らの地位を高めようとする意思となり、太平洋やヨーロッパ戦線で黒人部隊が活躍した。
ベトナム戦争では、コリン・パウエルが従軍し二度負傷したが、その栄誉は国民的人気のベースになった。後にアメリカ軍のトップである統合参謀本部の議長として湾岸戦争を指揮した。黒人初の参謀本部議長だったが、その後国務長官になるのも黒人初。
パウエル長官のあとを継いだライスは黒人としてはパウエルに次ぎ、女性としてはアメリカ初の国務長官だが、アフガニスタン戦争やイラク戦争では強硬策を推進した人物だ。
先日の14日、国連安保理の首脳会合で、ブッシュ大統領が後ろにいるライス長官に、「トイレ休憩取りたいんだけど、大丈夫かな」とメモを渡し、それを見たライスが微笑んでメモを返していた。その後ブッシュは席を離れすぐに戻ってきた。新聞報道では中座が外交辞令上問題にならないかどうかをブッシュが聞いたとしているが、そんなところでは収まらない。ブッシュは国家安全保障についてはライス様様で、なんでも指示を仰いでいる。その一環とするほうが正しい解釈だ。
アフリカ系アメリカ人は、こうして徐々にアメリカの公民権を勝ち取り、パウエルやライス長官のように積極的にアメリカをリードする人材も輩出した。ところが、権利を勝ち取れば取るほど、労働力は高価になり、いまや単純労働市場はアジア系とヒスパニック系(スペイン語系)アメリカ人に奪われることになった。アジア系とヒスパニック系アメリカ人は労働法で決められている最低賃金以下で雇われる場合が多く、奴隷労働力とダブる状況は最大の皮肉だ。
ブッシュ大統領は、二年前、アフリカを訪問し、ダカール近郊のゴレ島で演説をした。そこで奴隷貿易を「史上最大の犯罪のひとつ」と非難した。しかし、アメリカ政府としての謝罪はしなかった。
ゴレ島はヘーリーの「ルーツ」にも描かれる奴隷の積出港だった。アメリカが新規の奴隷輸入を禁止したのが1808年。それからまだたった200年しかたっていない。
この間に、アフリカ系アメリカ人は迫害と差別を受けながらも、アメリカで生き続け、その子孫がイラク戦争を強硬に支持する国家の要人となるまでになった。
アフリカからさらわれ奴隷になったアフリカ人はアメリカで肉体労働をさせられたが、日本から北朝鮮に拉致された日本人は同様に肉体労働も知的労働もさせられているに違いない。
基本的な権利や自由が認められずに他人の支配下で強制労働させられるのが「奴隷」なら、拉致された人たちは明らかに奴隷だ。このまま、取り返さなければ、アフリカ系アメリカ人の歴史と同様、迫害と差別のある社会で子孫が生き続ける状態になってしまう。
アメリカは世論の国だ。アメリカ自身がアフリカ人を拉致し奴隷として連れてきたことを清算できていないのに、日本人や韓国人の拉致問題は議論できない。つまり、世論はわかないのだ。そんなアメリカと拉致問題解決に歩調を合わせようとするのは、あまりに馬鹿げている。
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参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2005:「アフリカ系アメリカ人」「アレックス・ヘーリー」「ブラック・ムスリム」「マルコムX」
ブッシュ米大統領、「ルーツ」の島訪問 奴隷貿易、明確な謝罪せず/セネガル [2003年7月9日 読売新聞東京朝刊]
北朝鮮工作員、20年前に中1少女拉致 新潟の失跡事件に酷似 韓国から情報 [1997年2月3日 読売新聞東京夕刊]
参考サイト:
フリー百科事典ウィキペディア 「コリン・パウエル」「コンドリーザ・ライス」
毎日新聞 2005年9月18日 東京朝刊 「国連サミット:米、国際協調に一歩−−イラク撤退にらみ」
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