小泉政治を支えたトライアングルの崩壊

岸田 徹 【岸コラ】
2005年6月8日(水)

小泉さんは、三代続いた政治家として有名だ。その祖父である小泉又次郎氏の身体は、両手首の先と両足首の先以外には刺青が入っていた。ヤクザだったわけではない。もともととび職の道を継ぐはずだったのだが、政治の世界に興味を示したところ親から反対され、自分はとびのままでいるという証のために彫ったのだという(事情通の話)。

又次郎さんは実直で一本気の性格。とび職から政治記者になり政治の世界に入った。明治41年から昭和17年まで14回連続衆議院議員に当選している。普通選挙の実現に努力したが、官僚体制に真っ向から立ち向かったことでも有名。衆議院の副議長になったときは、国会史上初の党籍を離脱しての就任だった。逓信大臣にも就任。金は無いが男気があって善人だった。

又次郎さんには大事にしていた一人娘がいた。芳江さんだ。娘の婿は自分が見つけると又次郎さんが宣言するが、芳江さんは又次郎さんの秘書と恋に落ち、お父さんの反対で結婚が許されず、その男の故郷、鹿児島に駆け落ちした。生活のために鹿児島で議員に立候補したら、二回目で当選。そこで、又次郎さんが自分の地盤を引き継がないかと誘い、結婚を正式に認めたという。その男性が、小泉純一郎のお父さんの純也さんだ。

純也さんは戦後岸派に属したが、岸首相が退陣すると三派に分かれ、そのうちのひとつ藤山派に属した。ところが、派閥の領袖藤山愛一郎が総裁選に敗れると「金の切れ目が縁の切れ目」となってどんどん側近が離れていく。その中で最後まで離れなかったのが純也さんだった。

温厚だが一本気で政治姿勢がしっかりし名演説だったという。地位に固執せず、党内きっての論客で、日米安保を中心に防衛問題の第一人者だった。池田内閣では防衛庁長官に就任した。このとき、純也さんの政策秘書に日本人初の女性が起用された。三女の信子さんだった。当時26歳。30年後に小泉首相を操る官邸の女帝と週刊誌で騒がれることになる。単純に姉弟の関係だけではなく、政界での先輩後輩の関係がある。

小泉さんの母芳江さんと父純也さんの間には、3人の女子と2人の男子が生まれたが、信子さんは、純ちゃんとは4つ年が離れているすぐ上の姉。他の二人の姉は結婚したが、信子さんは独身を通している。信子さんが純也さんの政策秘書になったころ、純ちゃんはまだ学生で、外交官を目指しロンドンに留学していた。

ところが、純也さんは肺がんで急逝。純ちゃんはロンドンから呼び戻されて総選挙に立候補したが落選してしまった。そこで、一から出直そうと、福田赳夫元首相(福田康夫前官房長官の父)のところへ秘書として修行に出た。そこで、エリートの福田康夫と出会うことになる。純也さんの自民党葬では友人総代を福田赳夫が行なっている。

この生い立ちから、小泉純一郎という人物には次の2点が備わっていた。

第一点は性格的なもの。三代とも一貫して、話に裏表がない。実直で、徒党を組まない。人情派だが同時に金と女のスキャンダルがない庶民派だということ。

自民党をぶっ壊すと総裁選挙に躍り出た小泉さんは、まさに徒党を組まずに無党派層の応援で総理の座を射止めた。当初の勢いはなくなったとはいえ、いまだに5割近い支持がある。この支持の根強さに自民党と公明党は小泉さんの次を選出できない。

第二点は人とのつながり。小泉首相を支えたのは、政策秘書の飯島薫氏、第一秘書の姉信子さん、前官房長官の福田康夫氏の3人だった。

飯島氏は小泉さんが衆議院議員初当選のちょっと前から秘書になった。もともとは法律特許事務所の職員だったが、自民党関係者の紹介で畑違いの政界に転じた。生活が貧しく政界で稼ぐことを狙っていたようだ。27歳のときから30年、常に小泉さんの意をくんで行動している。100キロ近い身体に、浅黒い顔、ドレスシャツを着こなしカフスボタンがのぞく。タバコはゴールデンバットだ。

田中真紀子外相に引導を渡したのも飯島氏で、真紀子さんでさえ「官邸に行くのが怖い」と言わせるほどの剛腕。立ち振る舞いが秘書官の域を超えているとの非難もあるが、本人も小泉さんも気にしない。30年にわたる永田町人生での人脈が広く、まさに政界の裏表を知っている。

飯島秘書官に正面から物を言えるのが信子さんともう一人、官房長官だった福田康夫だ。小泉さんが福田赳夫の秘書として毎朝5時半に通う先に6歳年上の福田康夫がいるのだから、最初から立場が違う。

福田さんは、小泉さんが首相になる前の森内閣からの官房長官で、内閣を取り仕切っていた。特に官僚との関係は良好で、福田さんのいうとおりにしていれば、失敗しても福田さんが修復してくれるとの信頼があった。抜群の調整能力とクールな判断は小泉さんにはないものだ。

飯島秘書官と福田官房長官とはタイプも手法も違う。小泉さんはTPOにあわせて二人の判断と行動力を利用していた。これが小泉さんの最大の武器だった。

小泉さんは、外にあっては飯島さんと福田さんに支えられ、内では信子さんに支えられていた。これに三代続いた庶民派の人気で党内の圧力を跳ね除けていたのだ。

ところが、昨年の年金未納問題で福田さんが退任(2004年5月)してから、小泉さんを支えるトライアングルが崩れた。

福田さんが退任してからすぐに、長崎の佐世保で小学六年生の女児が同級生を刺すという凄惨な事件が起きた。このときに井上防災大臣が「元気な女性が多くなってきた」と発言し大問題。さらに、その発言を擁護するように谷垣財務大臣が「私の若いころは、放火は女性の犯罪。カッターナイフで切るのは原則的に大人の男の犯罪」と発言。大臣としては不用意な発言が続いた。明らかに福田さんが縛っていたたがが一挙に外れた感じだ。

小泉さんの政治は、泥臭い仕事を飯島さんがこなし、外交と内政を福田さんがこなしていた。信子さんの役割は表には出ないが、政治的行動の指南役を果たしているのではないだろうか。つまり、悪しき体制を壊してきたのが飯島さんで、壊れれそうな体制を繕ってきたのが福田さん、どっちに進むかを示したのが信子さん。この三者のバランスが小泉さんを首相にしていた。福田さんが欠けた後の小泉政治は明らかに違う。

そろそろ考えた方がいい。このまま進むには器が小さい。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2005:「小泉純一郎」「普選運動」

福田氏の官房長官辞任 影響ジワリ 支柱失い緩む首相官邸 〔2004年6月8日 読売新聞東京朝刊 政治〕

「放火は女、ナイフは男」 佐世保・小6事件で谷垣財務相 〔2004年6月5日読売新聞東京夕刊 夕社会〕

【産経抄】 [2003年09月21日 産経新聞東京朝刊]

【訃報】小泉首相の母 芳江さん死去 93歳 政治家一家を支える [2001年10月31日 産経新聞東京朝刊]

小泉内閣半年 “戦時”強運首相 改革、手詰まりなのに…支持率は高止まり 〔2001年10月26日 読売新聞東京朝刊〕

[Newsのひと]田中外相を屈服させた巨体 小泉首相の懐刀 飯島勲秘書官 〔2001年8月7日読売新聞東京夕刊 夕一面〕

情熱の人、小泉・自民党総裁 異端者?変革者? 〔2001年4月25日読売新聞東京朝刊〕

[国会百年と総選挙](6)議長の権威 党籍離脱で公正確保(連載) 〔1990年2月5日読売新聞東京朝刊 三面〕

参考サイト:

系図で見る近現代

福田康夫 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小泉純也

小泉又次郎

小泉実姉「信子」伝説…政策秘書、唯一の相談相手

書評『小泉純一郎――血脈の王朝』

ワイドショウ的小泉純一郎


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