アビニョンの橋と憲法第9条

岸田 徹 【岸コラ】
2005年5月20日(金)

アビニョンの橋の上を歩く榊原先生(2005年5月)

【無断転写禁ず】

【サカスト】の榊原烋一(よしかず)先生は、私の中学の時の音楽の教師だった。その中学の同級生がフランスにいて、先生は一週間ほど教え子が案内するフランスを旅行していた。スイスにいる同級生も合流して、まさか卒業後35年以上たってこういう旅行をするとは思いもよらなかったと感想を述べ合っていたらしい。

先生がいろいろ行きたい場所を指定して、フランスにいる教え子が旅程をアレンジしたらしいが、ローマンカトリック信者の先生は、宗教的歴史を感じるところを希望。そのひとつがアビニョンだ。

「アビニョンの橋の上で」というフランス民謡で我々も小学校のころから学校で教わって知っている。「橋の上でおどるよおどるよ、橋の上で輪になっておどる、紳士も来る、奥さんも来る」という歌詞は、坊主も来る、軍人も来る、のんべも来る、おてんばも来る――と続く。

のんべも来るはさしずめ先生のことだし、おてんばも来るは案内人の同級生だということで、歌詞のとおりになった。それはさておき、坊主も来る、軍人も来るというのは、どういうことか。軽快なリズムで輪になって踊るから、誰が来ても歓迎ムードの曲なのだが、坊主と軍人はこの地には大変なかかわりがあるので、先生も訪問されたのだと思う。

坊主とはお寺の和尚さんではなく、もちろんカトリックの司祭だ。それも大司教、もしかしたら教皇も含まれている。軍人とはフランス軍ではなく、恐らく十字軍だ。

先日、ローマ教皇パウロ2世が昇天され、新しくベネディクト16世が教皇に選ばれた。ローマ教皇は、世界のカトリック教会の頂点に立つ人だが、同時にバチカン市国の元首でもある。もっとも教皇自身はご自分のことを「神のしもべのしもべ」と呼んでいる。日本の皇居の半分もない世界で最も小さな国だとはいえ、バチカン市国はちゃんと外交関係を樹立している。

日本にも大使館がある。日本の一等地の大使館は皇居のすぐ脇の千代田区一番町のイギリス大使館だ。二番目は二番町のベルギー大使館。三番目が三番町のローマ法王庁大使館だ。パウロ2世が昇天された日には大使館の庭に記帳台がおかれ、信者ら400人が記帳した。各国大使も訪れたし、政府関係者も多数訪れた。基本的に宗教には否定的な共産党の市田書記局長も臨時代理大使に直接弔意を述べている。

昭和天皇が亡くなったときには、法王庁から枢機卿が大喪の礼に参列しているし、翌年の今上天皇の即位の礼にも別の枢機卿が参列している。日本からも天皇が皇太子時代にバチカン市国を訪れているのをはじめ(1953年)、首相も吉田、岸、池田、中曽根、竹下、海部、羽田、小渕の各首相が訪問している。パウロ2世も1981年に教皇としてはじめて来日するなど、立派な外交関係を持つ「国家」だ。

日本に大使館を開設したのは戦前だが一時閉鎖され、再開したのは戦後の1952年。現在178カ国と外交関係がある。

ローマはイタリアの首都だ。だから、ローマはイタリアではないのかと思うが、元はといえばローマの存在が先で、イタリアはローマを占拠した方だ。キリスト教の聖地はご承知のとおりキリストが復活したエルサレムだが、なんで教会の拠点がローマなのか。理由は、キリストの弟子のペテロがローマ皇帝ネロの迫害で殺され(64年ごろ)、その遺体がバチカンの丘に葬られ、その墓の上に聖ピエトロ聖堂が建設されたためだ(349年)。

教会は国家が領地を与えて建設する訳じゃない。近代国家が誕生する前は、国家よりは教会の領地の方がしっかり統治されていた。だから、教会を信者が建てると領主がその土地を寄進するという流れの方が自然なのだ。こうして、イタリア半島には教会が領地を所有する場所が多かった。

そこで、話を榊原先生がいらしたアビニョンの橋に戻そう。なんで、アビニョンの橋に坊主も来るし、軍人も来るかだ。

キリストの弟子ペトロの墓の上に聖ピエトロ聖堂が建ってから千年して、教会がヨーロッパ中に建ったが、同時にヨーロッパの王家の領地も中央集権的な国家の姿になってきた。中央集権的な国家を維持するには日本もそうだが金がかかる。金は税金だ。徴税制度が確立されてくるが、教会からも税金を取りたい。しかし、もともと教会は国家より先に存在した場所。何をいまさら税金を取るなどけしからん、と教会と国王が対立した。

現代なら宗教法人の非課税制度を悪用するのかという問題だが、当時はもっと問題が複雑だった。というのは、税金は国王が取るばかりではなく、教会も似たようなものを信者から徴収していたからだ。国王はより強固な中央集権体制を確立するため、教会はイスラム教徒に取られた聖地を奪回する十字軍派兵のため、どちらも収入増が急務だった。

アビニョンに移された教皇庁全景 (C) Kishida-columns 【無断転写禁ず】
ここで、フランス国王とローマ教皇が対立したのだ。もちろんローマ教皇側はフランスに税金など払うわけがない。そこで、フランス国王がローマ教皇を「脱税容疑」で逮捕したのだ。教皇がいなくなったローマでは、慌ててコンクラーベをしたかどうかは分からないが、次の教皇を選んだ。ところがその教皇は急死。その後選ばれた教皇がどういうわけかフランス人。これが運の尽きで、新任教皇はフランス国王の圧力に屈してローマを離れてフランスのアビニョンに「遷都」してしまったのだ。

そのため、アビニョンの橋は、坊主も軍人も輪になって渡るようになったというのが私の推論。ほぼ間違いないのではないかと思うのだが、ひとつだけ気になることがある。ローマ教皇が「遷都」したのは13世紀なのだが、「アビニョンの橋の上で」の歌に出てくるサン・ベネゼ橋は12世紀に造られている点だ。で、この歌が13世紀以降に作られていれば、坊主は教皇の可能性もあるのだが。ここらへんは、現地からお帰りになった【サカスト】の榊原先生にお任せしよう。

いずれにしろ、教皇庁は、ヨーロッパ列強との抗争の歴史も繰り返し、十字軍の軍隊も編成する歴史を持ちながら、イタリアとはムッソリーニと協定を結びバチカン市国を創設した波乱の歴史を持つ。

バチカン市国の国としての最大の特徴は軍事力と経済力を持たないことだ。それでも、外交は成立する。正義に基づく世界平和の確立が外交目標だからだ。これと目標が同じなのが日本の憲法第九条だ。この条項を実践することは決して非現実的なことではない。世界中の人々が望む世界平和の実践に努力する国家が、武力によって制圧されるリスクは武装した状態に比べれば極端に少ないことをバチカン市国は証明している。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2005:「アビニョン」「アビニョン捕囚」「イタリア」「バチカン市国」

参考サイト:

「アビニョンの橋の上で」

外務省「バチカン市国」

朝日新聞「在日ローマ法王庁大使館で記帳受け付け」

カトリック中央競技会 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?

ローマ法王の死去を悼み市田書記局長が大使館弔問

サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会 3

東京時間 ローマ法王庁大使館


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