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岸田 徹 【岸コラ】 |
エルヴィス・プレスリーが最初にレコードを吹き込んだのは、母親の誕生日にそれをプレゼントするためだった。エルヴィスは、貧しい家に生まれたが音楽好きの両親から10歳の誕生日にギターをプレゼントしてもらい、地元の教会の牧師からギターを教えてもらった。しばらくして、一家でメンフィスに移り住み、エルヴィスが20歳の時に地元の録音スタジオで「That’s All Right Mama」をレコードにした。
この録音を録音スタジオのオーナーが地元のラジオ局に持ち込み放送されると、リクエストの電話が鳴り止まず、その日のうちにアンコールを14回放送したという。レコードは2万枚売れ、エルヴィスはレコード会社最大手のRCAに移籍することになりロックンロールで全米の注目を浴びる人生を送ることになった。
エルヴィスが母親の誕生日にレコーディングしたころ(1954年)、日本は春日八郎の 「お富さん 」や菊池章子の 「岸壁の母 」が流れ、テレビ画面にはプロレスの力道山・木村組やプロ野球日本シリーズでは中日-西鉄戦、相撲の吉葉山、栃錦が映り、街頭テレビに人が集まっていた。アットホームな家庭などありもせず、ましてや母親の誕生日に何かプレゼントをして祝うなどということは考えられなかった。
子供のおもちゃは 「ミルク飲み人形 」が流行った。目のパッチリした赤ん坊のお人形に水の入った小さな哺乳瓶を当てると口から水が入り、人形の中の管を通じておしめが濡れるという仕掛けだ。これだって、欲しいからと言っても誕生日にくれることはなかった。あるとすれば、ボーナスが出るクリスマスか。上手くいけば入学式や七五三にもらえるかもしれない。いずれにしろ誕生日というのは期待が持てず、みんなが一緒に年齢を意識する節目節目がプレゼントのねらい目だった。
日本にはもともと誰かの誕生日を祝うという習慣がなかった。誕生日を祝う習慣は明らかにキリストの誕生を祝うキリスト教社会の習慣だ。
小さいころ祖父母やその兄弟に年齢を聞くと 「満で?数えで?」と必ず聞き返された。年齢は誕生日が来ればひとつ上がるはずなのに、なんで、満か数えか聞き返すのかがよく分からなかったが、祖父母の年代では誕生日が来たらひとつ年を取るという考え(満年齢)はなく、正月が来れば、みんなひとつ年を数えるのが年齢だったのだ(数え年)。
だから、我々のように誕生日が来るとひとつ年を取る人間から年齢を聞かれると、そっちの仕組みで答えるには、自分の誕生日を思い出し、それを超えたかどうかを考えないと年齢が答えられなかったのだろう。自分の誕生日という概念は人生の中では何の役にもたたない出来事だったのだ。
日本で最初に誰かの誕生日を祝日にしたのは明治時代のことだ。明治天皇の誕生日に当たる天長節が最初。戦後も天皇誕生日が制定されたが、偉人の誕生日を祝うということはない。
アメリカは、1月の第3月曜日が公民権運動のリーダー、キング牧師(1968年暗殺)の誕生日で休み、2月の第3月曜日がリンカーン大統領(2月12日生れ)とワシントン大統領(2月22日生れ)の誕生日を同時に祝うことで 「大統領の日 」として休みだ。
インドも、ガンジーの誕生日(10月2日)は祝日だ。北朝鮮も2月16日は金正日の誕生日と本日(4月15日)は金日成の誕生日で重要な祝日。いつまで祝日が続くか分からないが、政治的な指導者の誕生日を祝うというのは日本では考えられない。
政治ばかりでなく宗教的にも、国民的行事になっているクリスマスやバレンタイン・デーを祝日にする気は毛頭ないだろう。外国ではある。インドネシアは世界最大のイスラム教国だがモハメッドの誕生日以外にもクリスマスもお釈迦様の誕生日も祝日だ。(お釈迦様の誕生日は地方によって祝日でない場合もある)。仏教徒が多いシンガポールもお釈迦様の誕生日とクリスマスは祝日だ。
日本は、そういう政治的や宗教的な指導者の誕生日を祝うことはタブーのように行なわれない。もっぱら、海の日とかみどりの日とか思い敬うのは自然現象だ。もっとも、これだけ四季がはっきりしていて、どの季節もそれなりに豊かな国は他にはないから、それに感謝する気持が現れてくるのは自然といえば自然だ。
キリスト教やイスラム教の発祥の地は自然が厳しく四季がない。インドネシアやシンガポールは南国で過ごしやすいとも言えるが、四季がない一年はいつが年の変わり目なのかが分からない。だから、年中行事が大切で、これがなければ一年の節目はまったくなくなってしまう。その意味ではイスラム教徒にとってもクリスマスは役に立つ年中行事かもしれない。
四季に恵まれ、政治的や宗教的な指導者の誕生日を祝わなくても一年がちゃんと過ごせる日本人が、どうして個人の誕生日を祝う習慣ができたのか。文部省の個性尊重の教育が実ったのかもしれないが、恐らくそんなことより、バースデーケーキの出現が誕生日を祝うきっかけになったのではないかと思う。
甘いチョコレートや生クリームで作られたケーキは、西洋文化の裕福の象徴だった。誕生日に年の数だけろうそくを立て、一気に消すと願い事がかなうという言い伝えが縁起を担ぐ日本人に受けたのだろう。本人の誕生の意義を考えてもなんの役にも立たない誕生日だが、ケーキが食べられてプレゼントが手に入る日となればこんなに役に立つ日はない。
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参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2005: 「誕生日」
参考サイト:
FUKUSHI's Web Page 1954年〔ザ・20世紀〕
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