日本は国連安保理の常任理事国になるのか。

岸田 徹 【岸コラ】
2005年3月28日(月)

愛・地球博には、「博覧会賓客」制度というのがある。何をするのかというと、フランスのシラク大統領のように万博を見に来てくれた外国の首脳を接待する制度だ。

シラク大統領の場合はこの制度の利用はなかったと思うが、世界には貧しい国が多く、万博に行きたくても滞在費が捻出できない首脳がいる。そうい方々のために、日本政府が「顎足枕」(食事、移動手段、宿泊)を無償で提供するというのだ。この制度を利用して、アフリカから出展した29カ国の元首がほとんど来日することになった。

外務省がやりたかった愛・地球博

なんでそこまでして、アフリカの首脳を呼びたいのかというと、日本が安保理の常任理事国になりたいからだ。日本が、国連の安全保障理事会の常任理事国になるには、現在の常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア)の賛成と、加盟国(190カ国以上)の3分の2以上の賛成が必要だ。この賛成票獲得のために日本は頑張っているのだ。

え?あなたは頑張っていないって?おっしゃる通りかも。日本が頑張っているといっても、常任理事国は日本国民の悲願かというと、そんなことはない。国連の運営費の多くを日本が出しているという現実(一位のアメリカが22、3%、二位の日本は20%ほど)を見れば、じゃ、常任理事国になってもいいのではないかと言いたくなる程度で、多くの国民が常任理事国になることには熱くなっていない。

じゃ、どこが熱くなっているのか。それは、外務省だ。万博の所轄省庁は経済産業省(旧通産省)だ。そのため、通産省出身の堺屋太一氏が博覧会協会最高顧問になっている。しかし、愛・地球博の政府代表は外務省出身の渡辺泰造氏だ。渡辺さんは、エジプトとインドネシアの大使をした方だ。常任理事国入りするためには、アジアとアフリカの票田が欠かせない。エジプトもインドネシアも常任理事国入りを表明しているので、日本にとっては常任理事国拡大まではともに戦い、その後は競争するという大人の関係を保たなくてはならない国だ。渡辺さんはこの点を考えると、適任なのだ。

万博開催決定の年

日本が常任理事国になりたいと世界に表明した最初の人は宮沢首相(当時)だと言われている(1992年1月)。ところが、表明の仕方が軟弱で、安保理の機能強化と言っただけだったので、海外ではそれが日本の常任理事国入り表明とは映らなかった。そこで、その年の国連総会で渡辺外相(当時)が直接的表現で常任理事国入りを表明した。

10年以上前に政府として一応常任理事国になりたいと表明したものの、以降その動きは停滞したり突如動き始めたり。日本が愛知県で万博をやると正式に決定したのは1995年の暮だった。この年と翌年の外務省の動きが、常任理事国入り活動の基礎を作った。

1995年の正月に村山内閣は、表題が「創造と優しさの国造り」という「村山ビジョン」を発表した。そこには、常任理事国入りの文言はなく、村山内閣は無関心を装った。

しかし、3月に突如EUが日本の常任理事国入りについて積極支持を表明したのだった。その時を同じくして、国連大使の小和田さんが「理事国入りするか、先に延びるかは半年の間ではっきりする」(産経新聞)という大胆見通しを立てた。

その三ヵ月後、小和田国連大使は、エチオピアで開かれたアフリカ統一機構の首脳会議に出席している。この会議は毎年一回アフリカ・サミットとしてアフリカの53カ国の元首と外相が一堂に集まるのだが、前の年から日本がゲストとして呼ばれることになった。前年には、アフリカ外交通といわれたスイスの黒河内康大使が出席したのだが、その年は、小和田さんが加わった。小和田さんが加わった目的は、常任理事国入りへの支持取り付けだ。このアフリカの53カ国は国連では無視できない勢力になっていたのだ。

アメリカとソ連が敵対関係にあったころは、アフリカ諸国などの第三世界は、アメリカに付くか、ソ連に付くかで経済や軍事援助をもらっていた。ところが、ソ連崩壊後はその構図が崩れてしまい、第三世界の金ずるはEUと日本に向けられるようになった。EUはその矛先を日本に向けることで第三世界の金ずるから逃れたのではないかと想像できる。

小和田さんが積極的に活動を続けいている間、政府は右往左往していた。通産大臣だった橋本さんが常任理事国入りに積極的な発言をしては、首相の村山さんが火消しをする。常任理事国入りするには、国連憲章の観点から、日本の軍隊をどうするのかの議論が避けて通れなかったからだ。この点は、長いこと平和憲法を擁護し自衛隊の存在を否定してきた社会党の村山さんには荷が重過ぎる問題だったのだ。

しかし、外務省の積極展開はどんどん進み、12月(1995年)には、河野外相がインドとパキスタンを訪問することになる。翌年に行なわれる非常任理事国入りの選挙に、インドが名乗りを上げているためだった。日本が常任理事国入りするためにはこの年の非常任理事国入りが欠かせない。インドに立候補を取り止めるよう要請するつもりで行くことになった。インドは、非同盟国からの人気が根強く、当初から常任理事国入りについては日本の強敵だった。同時に、インドと仲の悪いパキスタンを訪問して、日本の常任理事国入りを積極的に支持してもらおうとした。

頑張る外務省に乗らない政府

この時に、愛知万博が村山内閣で閣議決定された。ところが翌月の1996年の1月、突然、村山さんは首相を辞職し、自民党の橋本さんが首相になった。橋本首相就任後の初めての公賓は、パキスタンのブット首相だった。案の定、ブット首相は、日本の安保理常任理事国入りの支持を表明し、日本は、パキスタンでの高架鉄道建設や水力発電所建設などのプロジェクトに597億円の援助貸付を表明した。

外務省は、常任理事国入りに消極的だった村山さんよりは積極姿勢の橋本さんになって安心したのだろうが、その安心は思わぬところでつまずいてしまう。

安保理での非常任理事国の選挙を10月に控え、国連総会が開かれる9月はニューヨークに各国首脳が集まり国連外交を展開する。日本からも橋本首相と池田外相がガリ事務総長の表敬や日米首脳会談、国連演説とこなすことになったのだが、その日程が二日しか取れないというのだ。前年に非常任理事国になった韓国は、外相が1ヶ月間ニューヨークに滞在して選挙活動を行なっていた。各国とも2週間から1ヶ月の滞在が常識なのに、橋本さんと池田さんはその日程が取れない。二人はそれどころではなかったのだ。解散総選挙が目の前にぶら下がっていた。

しょせん、政府のこの問題に対する力の入れようはそんなものなのだ。それでも非常任理事国選挙に日本は当選した。外務省が頑張ったからだ。

常任理事国入りの問題は、国連改革と密接につながっている。官僚化し肥大化する国連機構には湯水のごとく金が使われてしまう。国連財政に積極的に貢献している日本の意見を聞かずに、国連改革はできないとする実務的な問題が背景にあるのも事実だ。

しかし、かつては金ずる援助を求めていた第三世界が、経済的な力をつけて国連で勢力を増している政治的な問題が大きく国連を変えようとしている。アメリカにしてみれば、金も出さずに同じ一票で勢力を拡大するこの勢力には嫌気が差している。クリントン政権時代には日本の常任理事国入りに賛成していたアメリカも、9.11以降は微妙に変化している。

そんな中、日本の国連改革に対する主張は実に曖昧だ。日本が常任理事国になって積極的に国連改革を進めていくというのだが、日本の常任理事国入りを望んでいる加盟各国の大きな理由は、財政貢献だ。それを日本が常任理事国になって合理的な改革を進めれば、予算の節約をするという矛盾にぶち当たってしまう。

政府は、国内財政が厳しいのに、常任理事国になって責任を果たすために金も軍隊も出すと公には言えない状況だ。海外向けには金も軍隊も出すと言いたいが、国内を意識すると口が裂けてもそんなことは言えない。いきおい、主張が曖昧になってしまう。

いくら頑張っても今は無理

国連のアナン事務総長は「安保理改革なくして国連改革なし」との決意を表明して、今年の9月までに安保理の改革について加盟国で合意するよう先日勧告した。日本の常任理事国入りの後押しだと外務省は解釈しているが、事務総長がそんな勧告を出さなくてはいけないほど、問題は解決の方向が見えないのだ。

国連総会の決議は、加盟国に対しては「勧告」でしかないのだが、安保理の決議は加盟国がそれを受け入れ実行するという条文に署名して国連に加盟している。つまり、安保理の議決は国連総会の議決よりはるかに重く国家を左右するもになっている。常任理事国にはその決議に対する拒否権があるわけで、こんな重要な既得権を常任理事国5カ国がおいそれと放すはずもないし、広げるはずもない。

拒否権はないが常任理事国になるという案もあり、日本は宮沢さんが常任理事国入りを表明したときから、拒否権なしでいいから常任理事国になりたいと言っている。そんな、常任理事国に本当になりたいのか、国民投票をやってみれば、答えはNoに決まっている。

外務省は、常任理事国にならないと重要情報が入ってこないからつまらないという理由で、一生懸命活動しているようだが、そんな、外務省の縄張りを盛り上げるような活動に意味はない。常任理事国になるには、クリアーしなくてはならない難題がありすぎて、ちょっと、9月までと言われても、それは無理だ。

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この題材に関する【サカスト】の評論

参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2005:「国際連合」「国連安全保障理事会」「常任理事国」「国際連盟」「安保理改革問題」「非同盟諸国」「村山富市」

日仏首脳会談 仏、常任理入り支持 対中武器禁輸問題は平行線 [2005年03月28日 産経新聞東京朝刊]

万博外交を積極展開 政府 安保理入り支持訴え [2005年03月25日 産経新聞東京朝刊]

新憲法草案「自衛軍を保持」明記 九条二項を全面書き換え 自民方針 [2005年03月25日 産経新聞東京朝刊]

安保理改革 9月までに合意を 事務総長が勧告 [2005年03月22日 産経新聞東京朝刊]

AU 常任理拡大案を支持 アナン事務総長に明言 [2005年03月19日 産経新聞東京朝刊]

国連外交の日程 非常任理選挙控え 首相、外相の短期滞在に失望感 日本外交筋 [1996年09月21日 産経新聞東京夕刊]

小和田国連大使 常任理事国入りと事務総長 両ポスト獲得に意欲 [1996年09月09日 産経新聞東京朝刊]

非常任理事国当選 国際貢献認められる 外務省、国連改革に意欲 [1996年10月22日 産経新聞東京朝刊]

パキスタン インドとの仲介要請 ブット首相、橋本首相と会談 [1996年01月19日 産経新聞東京朝刊]

河野外相 来月中旬インド訪問 パキスタン歴訪も、非常任理選にらみ [1995年12月18日 産経新聞東京朝刊]

橋本氏を間接批判 常任理問題で首相 [1995年08月23日 産経新聞東京夕刊]

小和田国連大使、アフリカ・サミット出席へ 常任理事入り“票集め” [1995年06月20日 産経新聞東京朝刊]

常任理入り問題 半年めどに結論 小和田大使が見通し [1995年03月11日 産経新聞東京朝刊]

「日本の常任理入り支持」 EU、初の名文化 「経済偏重」見直し [1995年03月09日 産経新聞東京朝刊]

経済構造を転換 創造の政策4つの柱 村山ビジョン発表 [1995年01月01日 産経新聞東京朝刊]

【潮流】常任理事国入り目指す日本 [1992年12月31日 産経新聞東京朝刊]

第四十七回国連総会の一般討論で国連安保理の改革論続出 [1992年10月08日 産経新聞東京朝刊]

インドネシア大統領、安保理拡大を提案。 [1992年09月25日 産経新聞東京夕刊]

参考サイト:

外務省★「愛・地球博」への道

外務省★渡辺政府代表の横顔

国際連合憲章

「常任理事国入り」は最優先課題か?

東奥日報「万博外交」フル回転/60カ国余の首脳が来日

Foreign Press Center 小泉首相が国連安保理の常任理事国入りめざす決意を表明

第162回国会外務委員会第一号


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