【サカスト】の記事にあったロシアの有力紙イズベスチアのシャキロフ編集長はなかなかの切れ者だった。44歳だ。以前からロシア政府の改革の遅さには鋭い注文をつけていた。ロシアの学校占拠事件の報道でも政府に批判的な記事を書き、第一面と最終面では見出しも記事も一切つけず、裸で救出された人質の写真を掲載した。悲惨さを前面に出したのが反政府的と見られ解任につながったというのがもっぱらの理由だ。
かつては政府の機関紙だったイズベスチアは、ソ連崩壊後政府の手からは完全に離れた。それがどうして、反政府的な記事を書いたら解任させられるのか。これが現在のロシアの闇の深さだ。
実は、ソ連崩壊後イズベスチアの編集長解任はこれがはじめてではない。
ソ連崩壊後、政府の機関紙から脱皮したイズベスチアは改革派の日刊紙として市場経済と民主化をリードした。ところが、ルーブルの切り下げを迎えるなど市場経済は混沌とし、ロシア経済は低迷し続けた。広告収入は減り、一般市民も購読できない状況となった。他の新聞社や雑誌社、テレビ局も同様に経営難に陥った。
そんなメディアを次々に買収した人たちがいた。オリガヒルと呼ばれる新興財閥の人たちだ。7人が特に有名だが、みな若い。一番年をとっている人でも1946年生まれだから58歳、活躍しだしたのは10年ほど前だから48歳。7人のうち5人はユダヤ人だが、れっきとしたロシア人だ。
世界の長者番付で有名なアメリカの経済誌「フォーブス」が2003年の3月に発表した番付では新興財閥のほとんどの人たちが顔をそろえ、資産が10億ドル以上の「千億万長者」は17人がロシア人だった。アメリカ人がダントツの222人だが、17人は世界で二番目だという。この17人の総資産額はロシア連邦国家予算の実に半分以上の額だった。
今回編集長が解任されたイズベスチアのオーナーは、新興財閥の一人のポターニン。彼は、ソ連時代のペレストロイカで、国家以外に銀行を所有できる金融自由化を真っ先に利用し銀行を設立した。友人から借りた100万円ほどの金が元手だったという。
錬金術の仕組みは明らかではないが、彼の設立したオネキシム銀行は急成長する。恐らくドルを大量に買い込み下落したルーブルで資産を倍増していったのだろう。これを財政の悪化で苦しむ役所に貸し付け利権を得たのではないかと言われている。
彼のオネキシム銀行は公金の預かりではトップとなり莫大な資金を得ることになった。その傍ら、国営企業の民営化で売却になる石油会社と鉱物会社を買収していった。その手口も巧妙で、資金難に陥る会社の弱みに付け込み、資産価値ではなく資金繰りで必要な金額で買収している。
国家の混乱時に乗じた新興財閥の行動にイズベスチアなどのマスコミは批判的だった。これらの批判をかわすためと自分たちの都合のいいように世論を形成する目的で、彼らは言論界に手を伸ばし財政難にあえぐ新聞社やテレビ局を次々に買収したのだった。
国家資源の石油や鉱物、それに市民の財産であるマスメディアを私物化する新興財閥が政権の中枢で暗躍するようになったのはプーチンの前のエリツィン大統領の時代だ。ペレストロイカの波に乗って登場したエリツィンは大統領選の二期目には体たらく。心臓病を理由に仕事はほとんどしなくなった。
大統領の代わりに政権内部を取り仕切ったのがエリツィンの次女タチアナだった。なんで次女が出てきたのかの理由は報道されていない。恐らく、エリツィン個人に貢いだ者が多いから、それを受取る側が勢力を伸ばしたと私は考えている。エリツィンが公の立場で政治資金をきちんと処理していれば身内の人間が出てくる隙は生まれない。
タチアナに協力的だった第一副首相のチュバイスはエリツィン再選後大統領府長官になった。後任の第一副首相には現イズベスチアの企業オーナーで新興財閥のポターニンがなった(当時35歳)。チュバイスはタチアナと親しかったし、ポターニンはチュバイスと親しかった。ポターニンがチュバイスとタチアナに資金を送っていたのは間違いない。
しかし、政治的にはチュバイスの大統領府長官就任には、再選したとはいえ健康不安説のあるエリツィンに政権内部で批判的だったチェルノムイルジン首相をけん制する意味があった。
この時イズベスチアは、このチェルノムイルジン首相の蓄財疑惑を報道した。改革の遅れを腐敗した政権内部のせいだとしたのだ(1997年4月)。チェルノムイルジンは国営石油各社を民営化し、新興財閥に有利に株の取得をさせたとの疑惑がある。
これに怒った首相は、首相に近い石油会社最大手のルクオイルにイズベスチアの株式を買いあさらせて編集に圧力をかけた。(ルクオイルはフセイン時代のイラクと関連が深い。ロシアがフランス、ドイツとともに英米主導のイラク戦争に反対したのは、ルクオイルがイラクで再び石油精製事業を行ないたいためと言われている)
この首相からの圧力に、編集幹部は大反発した。この抗争にポターニン第一副首相が割って入った。ポターニンは自身の率いるオネキシム銀行が編集側を支援すると表明したのだ。これで一件落着かと思ったのも束の間、オネキシム銀行はルクオイルと手を組み編集長を解任したのだ。ポターニンもかつてはチュバイスとチェルノムイルジンが取り仕切った石油会社民営化時の株式売却でおいしい汁を吸った本人だった。
このポターニンの裏切りに編集幹部はすっかり激怒した。解任された編集長には、東京特派員で北方領土問題の第一人者アガフォノフ副編集長をはじめスター記者たちが追随して社を辞める意向を固めた。
これでイズベスチアは分裂し、新イズベスチアが創刊されることになった。新イズベスチアの創設に資金援助したのが新興財閥の中でも最も財を築いたといわれているベレゾフスキーだった。彼はロシアの自動車販売を一手に自分のものにしたつわもので、独占できた背景にはチェチェンのマフィアとの関係が取りざたされている。マフィアが販売他社の車に次々と傷をつけて売り物にさせなかったとの報道がある。
彼が新イズベスチアにてこ入れしたのは、かつてはともにおいしい汁を吸ったポターニン第一副首相をけん制するためだったに違いない。ポターニンは反対に新イズベスチアがベレゾフスキーにより設立されたことで、本体のイズベスチアの株式を持つことになる。しかし、ベレゾフスキーはチェチェンのマフィアを守る立場にいる。チェルノムイルジン首相はチェチェン強硬派の反対勢力だった。どこかでつながっていたに違いない。
ロシア一の大富豪だったベレゾフスキーは、チェチェン強硬派のプーチンが大統領になって追われる身となった。現在は亡命中だ。いつ命を落としても不思議ではない状況だ。
ロシアでは、新興財閥をめぐる政治と裏社会の攻防が相次いでいる。今年の7月には、前述したフォーブスのロシア版編集長フレブニコフ氏が路上で暗殺された。彼はベレゾフスキー関連の著書から始まり、フォーブス・ロシア版で創刊号から「ロシアの富豪100人」を書き続け、彼らの資産形成の不透明さを明らかにしていた。フォーブスにロシア人の富豪がランクアップされたのは彼の綿密な調査の結果があったからこそだった。「知り過ぎた」というのが暗殺の理由になっているが、この事件も闇に葬り去られようとしている。
ソ連崩壊後、取材上のトラブルで殺されたと思われる記者の数は112人に上る。2000年以降ロシアでは14人のジャーナリストが殺されたが、犯人は一人も検挙されていない。検挙する側が犯人側とつながっているからだ。つまり、新興財閥が実質的にはロシアを支配している権力の二重構造ができあがってしまったのだ。プーチン大統領は本来ここと戦わなくてはいけない。テロ撲滅を言うのはその後だ。
2004年9月8日(水)
この記事の読者数:
参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2004 「オリガヒル」
産経新聞
参考サイト:
The Big Seven--Russia's Financial Empires
米経済誌フォーブスのロシア版編集長殺害、マフィアか 財界と摩擦 朝日
![]() |
![]() |