政治資金規正法がどんどん厳しくなり、2000年からは会社や団体が政治家個人へお金を寄付することを禁じた。その前には、年間5千万円まで寄付できた企業の政治献金は50万円までしかできないことになった。
その代わり、政党助成法ができて、国が政党に対して政党交付金を出すようになった。これで、派閥が消える。小泉さんはそう思ったに違いない。
さらに、橋本竜太郎が強力に進めた行政改革により、省庁の数が減っただけじゃなくて、縦割りと非難が多かった各省庁の縄張りを解く目的で、各省庁より一段上の組織ができたのだ。これが内閣府だ。まさに、大企業の各部のセクショナリズムを排除する目的でできた社長室のようなもの。
内閣府は、「内閣総理大臣を長とする内閣官房を補佐する機関で、内閣官房の直属機関」というややこしい位置付けだ。平たく言えば、総理大臣に力を与える組織。総理大臣として仕事をやるのに全面的にバックアップするのが官邸だから、結局内閣府は官邸がリードすることになる。官邸のリーダーは官房長官だ。福田官房長官が陰の外務大臣とか陰の総理とか言われた理由はここにある。
内閣府には本府のほか、宮内庁、防衛庁、警視庁、金融庁、公正取引員会が省庁再編で傘下に入った。その他に4つの会議が置かれ、そのうちのひとつに竹中さんが担当する「経済財政諮問会議」というのがある。ここは、今まで大蔵省の主計局が一から十まで握っていた国家予算の編成権を奪ったところ。宮沢さんが財務大臣のときに、ここで骨太の問題を集約して、細かいことは財務省に下ろせばいいとしたのだった。
小泉さんは、派閥のバックもないし、それまでの総理大臣が必ずやっていた主要閣僚の経験もなければ、自民党の三役もやっていない。だけど、政治資金の問題と内閣府の誕生で、派閥と主要閣僚、党三役の経験がなくとも自分は総理になれると確信したに違いない。そういう流れを的確に読んだのだ。
その流れの中で、小泉さんは総理大臣になった。もし小泉さんがならなくても、こういう流れと内閣の運営組織の変更で、今までとは違う現象が起きたはずだ。
大きく目に見える違う現象とは次の4つだ。予算が大蔵省主導から官邸主導になった。外交が外務省主導から官邸主導になった。防衛庁が官邸の下に入った。宮内庁が官邸の下に入った。の4点だ。
今までは大蔵省の官僚の中の官僚といわれる最も優秀な主計局の官僚が予算を編成していた。予算編成というのは各省庁から要求がある予算の適正配分だが、それだけじゃない。最近は国債の発行額をどのように決めたらいいかが重要でややこしい問題。これが、官僚主導から政府(官邸)主導に移った。移った瞬間、30兆円枠にこだわっていた小泉さんが、自分でやってみたらできなかったというわけで、あっさり30兆円枠を崩してしまった。
日本の外交はアメリカとの外交が機軸だ。この外交は外務省が独自に行っていた。これも長い歴史の中で外務官僚が理路整然と守ってきた方針だ。アメリカ政府もしょっちゅう変わる政府の閣僚よりはしっかり路線を守る外務官僚と折衝した方が話が早い。ところが、そういう官僚主導の外交が密室外交と言われそれを国民の手に戻そうと田中真紀子が外務大臣になって頑張った。
しかし、そのスカートの裾を踏んだのが小泉さんだった。なんで踏んだかというと、真紀子さんがそんなに頑張らなくても、もう外交はこっちのものだからヒステリーを起こすなと踏んだのだ。田中真紀子が外務大臣を更迭された後、小泉さんは一部の外務官僚がお膳立てしたルートを使って北朝鮮に飛び拉致問題を協議した。それまでのアメリカ中心の外務省政策ではありえない訪問だった。
アメリカとの外交も自らが懐に入って展開し、アメリカへ行って自衛隊の派遣を約束してきた。これも自衛隊が自分のところの支配下になったからできた。これまでの外務省と防衛庁の意見の調整は必要なくなった。
宮内庁は、これまで独自の地位を保ってきた。明治維新後もそうだし、戦後もそうだ。これまで誰も手をつけなかった宮内庁をはじめて直接内閣が統括することになったのだ。今回の皇太子の雅子さまが外国に行けないとの発言はこの中で行われている。
雅子さんが自分は外交官として働きたいと何度も断った皇太子妃の座。それを、うんと言わせたのは皇太子の熱烈なプロポーズであったが、それと同じぐらい重要な提案が外務省からあったと想像できる。皇室外交という提案だ。それまで皇族の外遊は宮内庁と外務省の協議で行われていた。つまり、外務省主導だった訳だ。その外務省関係者が妃選びには関わっていることから、このスジから外務省がこれまで以上に皇室外交に携わってもらうという何らかの「保障」を雅子さんにしたから雅子さんは妃になる決断をしたと見るのが自然だ。
それが、ご成婚後は内閣の体制が変わって、皇室外交は外務省主導でできなくなった。組織の上からも宮内庁は官邸の下に入ったし、外交も官邸主導になっているからだ。この「約束違反」に皇太子が不満を述べたと見れる。
では、なんでこのように総理大臣に権力が集中する運営方法に日本は変わったのか。アメリカだ。55年体制まで、アメリカは日本を属国のように見ていたが、高度成長後、経済的に日本はアメリカの属国ではなくなった。アメリカが日本はどうするのかと聞くようになってきて、「日本の主張」が求められ、それに答えられるような組織に日本はしたのだ。
その初めての答えが、「自衛隊をイラクに派遣します」だった。あれは、小泉さんが自分で日本の意思として答えたものだ。アメリカに言われたからそうしたというわけじゃない。ただ、親が成人した子供に今度は自分の判断で生きろといわれ、子供が親の期待通りの返事をした感じだが。
こうして日本は官邸主導の運営システムになった。「一省庁一閣僚」と小泉さんが固持するのも各省庁は実務をしっかりやってほしいという意図の現われだ。政治的な判断はみな官邸で行うということだ。小泉さんが首相公選制を主張するのもそのためだ。これが小泉さんのいう「自民党をぶっ壊す」という結論だと思う。
この項おわり
2004年5月21日(金)
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参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2004
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