必ず分かる「パレスチナ紛争問題」

パレスチナ問題は、もともと住んでいたアラブ人のところへユダヤ人が入ってきて起こしている土地問題だ。

このアラブ人がパレスチナ人と呼ばれ、ユダヤ人がつくった国がイスラエルだ。現在のパレスチナはイスラエル国とパレスチナ人の自治政府が混在しているが、イスラエルの方がはるかに優勢だ。この二つの勢力が紛争を起こしている。パレスチナ人の自治政府はPLO(パレスチナ解放機構)が中心になってつくった。

この紛争の形容詞をユダヤ教とイスラム教の3千年にわたる紛争だとかユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地を争うものだとかいわれることがあるが、誤解だ。この地にあるエルサレムは確かにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地だ。毎年多くの観光客が訪れ、イスラエルの観光収入になっているが、3つの宗教がそのために争っている訳じゃない。ユダヤとイスラムの戦いもここで3千年にわたって行われている訳でもない。むしろ、この地では3つの宗教は融和の歴史の方がはるかに長い。争点は土地問題だ。

それが宗教戦争のようにいわれるのは、アラブ人の多くがイスラム教徒でユダヤ人がユダヤ教徒だからだ。そこに、イスラム教徒のアラブ同盟国であるエジプト、イラク、レバノン、サウジアラビア、シリア、ヨルダンなどがパレスチナ人を応援し、世界のユダヤ人とアメリカがイスラエルを応援するから、紛争が激化している。

日本人には遠くの出来事に感じるが、この紛争がもとでワイドショーが取り上げた大事件が二つあった。ひとつは、イスラエルのテルアビブで起きた空港乱射事件(1972年)。日本赤軍の岡本公三他日本人二人が自動小銃を乱射した。イスラエル警察と銃撃戦になり巻き込まれた24人が死亡、80人以上が負傷した。空港は一面血の海と化した。二人はその場で射殺されたが、生き残った岡本はイスラエル政府に逮捕され、軍事法廷で無期懲役の判決を受けた。服役中に捕虜交換で釈放され、アラブ同盟国のレバノンに移り旅券偽造罪で服役したが、刑期後レバノンに政治亡命した。

残虐な事件を起こしたにもかかわらず生き延びているのは、彼が「アラブの英雄」になっているからだ。当時、パレスチナ人はイスラエルに押されっぱなしで、東洋から来た日本人がパレスチナ人のために戦ってくれたと感謝の念が親の代から語り継がれ今でも彼を擁護している。

もうひとつは、同じ時期に起きた石油危機でトイレットペーパーの買いだめでスーパーに列ができたことがあったが、これもパレスチナ問題が発端だ。イスラエルに押され気味のパレスチナの反撃のためアラブ諸国が起こした第四次中東戦争で、イスラエルを援助するアメリカとオランダにOPECが石油の輸出を禁止した。日本もこのときアラブの非友好国に指定され石油が入ってこなくなった。

このときの苦い経験があるため、今回イスラエルがパレスチナのハマスの指導者ヤシン師をミサイル攻撃し死亡させた事件では、いち早く日本政府は声明を出してイスラエルの行動を外務省主導で非難した。

じゃ、そもそも土地争いの発端は何かというと、イギリスに問題があった。イスラエルが建国されたその地域をパレスチナと呼んでいるが、そこに住んでいる人たちをパレスチナ人と呼んでいるのだから、もともと住んでいたのはアラブ人の方だと容易に想像できる。じゃ、イスラエルができる前はなんだったのか。イギリスの委任統治領だった。

その前は、オスマントルコ帝国だった。その前は、サラセン帝国だった。サラセン帝国は、イスラム教徒のアラブ人がローマを破ってできた国。ということはその前はローマの支配下にあったところだ。その時、イエス・キリストが産まれている。その前はといえば、アレキサンダー大王の支配下にあり、その前はイスラエル王国とユダ王国だった。その前はイスラエル王国で、紀元前9世紀のこと。それより前はカナンの地と呼ばれ、旧約聖書の時代だ。ここまでくればユダヤ人の土地だったといえる。

しかし、ローマ帝国が崩れイスラムの指導者が支配するようになってオスマントルコ帝国にいたるまでの間は、イスラム教徒たちがこの地を実質的に支配していた。イスラム教徒はローマ帝国で認められたキリスト教もユダヤ教も認めていたので、宗教的な争いはほとんどなかった。

それを第一次世界大戦で、イギリスはアラブの産油権利を得たいがためにアラブ人に「アラブ帝国」の独立を約束して味方につけた。アラブの力を借りてイギリスはオスマントルコ帝国からパレスチナを奪ったのだ。そいつはよくある話として、実は、この少し前からロシアを中心にユダヤ人の迫害が始まっていた。東ヨーロッパのユダヤ人はこの難を逃れるために約400万人がアメリカに渡った。さらに、フランスでは陸軍参謀勤務のユダヤ人大尉がスパイと疑われる事件があり、オーストリアの作家が「ユダヤ人国家」を執筆し、ユダヤ人の国家を造ろうという「シオニズム」運動がヨーロッパで起きていた。

これに呼応するかのように、イギリスのバルフォア外相が第一次世界大戦に勝ったらユダヤ人の国家を認めると宣言したので事がややこしくなった。これが始まりで、世界中のユダヤ人が迫害されるたびにパレスチナの地にやってきて土地を購入し勢力を拡大していった。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害はそれに輪をかけた。

イギリスはアラブとユダヤの両方にいい顔をしたため、ユダヤ人の入植も認め、これに抵抗するアラブ人の反乱も認めることになった。この二枚舌がパレスチナ紛争の火種だ。第二次世界大戦が終わるころには、イギリスはこの問題の解決ができなくなり、国連に放り投げた。国連はいとも簡単に二つを分けりゃいいとやったもんだから火に油を注ぐ形になってしまった。

アメリカがいまだにイスラエルを応援するのは、第一次世界大戦前に迫害によって移住したユダヤ人たちが成功し経済的にも政治的にもアメリカ政府を動かしているからだといわれている。お陰でイスラエルはアメリカの援助で超近代兵器を装備している。

今回のイスラエル政府が公然と行ったハマスのヤシン師暗殺事件でもアメリカ政府は非難の立場が取れない。まさに国家によるテロ事件でアメリカがもっとも嫌う卑劣な犯行のはずだ。

イスラエルがこのように強行にパレスチナ人を攻撃したかと思うと、イスラエルのラビン首相がパレスチナ解放機構のアラファト議長とクリントン大統領の前で握手したりしていた。いったいどういうことなのか。

実は、イスラエル側もパレスチナ側も和平か闘争かで揺れるのだ。お互いに認めて住み合うか、排除して自分たちだけの国にするのかで揺れている。

アラファト議長と握手をしたイスラエルのラビン首相は暗殺され、同じ党のペレス首相が和平交渉を継続したが、イスラム過激派のハマスにより連続自爆テロが起こり、選挙では和平の見直しを主張したネタニヤフがペレスを僅差で破った。ネタニヤフは強硬路線に走った。ここのところ、イスラエルは強硬路線だ。

一方、このハマスのヤシン師というのは、アラファト議長とともにパレスチナ人のアラブ国家を成立させるために運動しているパレスチナ人だが、アラファト議長が強硬に突っ走っていたころは穏健派で、アラファト議長が和平を模索したころから強硬派になったといわれている。殺害されたときはイスラエルとの共存は認めず、パレスチナのイスラム国家樹立を主張し支持されていた。

2004年3月24日(水)

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2003

参考サイト:

ユダヤ民族歴史物語

岡本公三乱射事件、管制塔襲撃の計画だった

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