小説2013年(上)

今思えば、10年前の小泉首相が12月9日にイラクに自衛隊を派遣すると決めたときから、世界は大きく流れを変えてしまった。これが民主主義の終わりになるとはだれもが想像していなかった。1991年末に突然崩壊したソビエト連邦の末期より悲惨な光景を今、目の当たりにしている。

10年前、日本は自衛隊派遣を閣議で決めたあと2ヶ月で千人以上の自衛隊員をイラクのサマーワに派遣した。小泉首相(当時)が日本国民に復興支援の目的だと強調していたにもかかわらず、アメリカでは日本が米英同盟に参加したと華々しく報道したため、フランス、ドイツ、ロシア、中国の大国は日米英の三国同盟をことあるごとに攻撃した。そのため、世界では日米英同盟とその他という図式が成り立ってしまった。

日本が米英同盟に加わることにより、クウェートやカタールなどアメリカに基地を提供していた国々はより鮮明に日米英同盟に協力することを宣言し、南アフリカの援助を必要とする国々は次々と日米英同盟を支持する声明を出した。また、ロシアの脅威にさらされているグルジア、カザフスタンなどの国々も日米英同盟を歓迎した。

一時世界は日米英に占拠されるのではないかと思われる勢いで、日本の参加が決まったときからブッシュ大統領(当時)はイラクでのテロ撲滅のためにアメリカ軍をさらに3万人規模でイラクとその周辺国に送ったのだった。

この勢いに、北朝鮮の金正日は辞任を表明し、その辞任の条件に北朝鮮への日米英軍進駐をさせないという約束をブッシュ大統領から取り付けた。それからすぐに、北朝鮮に拉致されていた日本人および韓国人とその家族は続々と帰国した。小泉首相の支持率は鰻上りで90%を超え、日本はイラクの早期安定のためにさらに5千人規模の自衛隊を派遣することを表明した。

ところが、日米英同盟の脅威に世界経済の崩壊を心配する為替市場が、一挙にドルを売り出しドル安が世界を駆け巡った。このドル安でアメリカの物価は2倍に跳ね上がり、消費経済がすっかり麻痺してしまった。このあおりで円はアメリカ以外に消費を頼るところがないまま円高が進み日本経済は大打撃を受けることになった。

その夏の日本の参議院選では構造改革がイラク戦争で進まなかったところへ円高による経済打撃の影響をまともに食らい、自民党と公明党が議席を半分に減らした。公明党では、結党時の平和の党に回帰すべきだとの意見が噴出し、与党であり続けることへの疑問が公然と飛び出した。おりしもそんな時に母体団体の指導者が急逝し、党は分裂。公明党の半数の議員は民主党と行動を共にすることになった。参議院では民主党と公明党からのなだれ議員で3分の2を占める一大勢力が誕生した。

この危機を打破するため、小泉首相は日本の構造改革が進まないのはテロに対する脅威にアメリカが翻弄されているためで、早くイラクの混乱を収め、アメリカ経済を立て直すべきだと、自衛隊の派遣をさらに1万人行った。この助けを受け、アメリカ軍はイラクでの活動を隣国イランにまで拡大した。

ブッシュ大統領は、日本の協力に感謝しながら、日米英を機軸とした世界経済の建て直しを掲げ大統領選に臨んだ。ところが、次々に本国に運ばれる米兵の屍の前に、アメリカ国民の疑念が湧き出し、同時にますます混迷する経済に対し批判の声が上がり始めた。そこに選挙には出ないと言っていたヒラリー・クリントンが出馬を表明し、あっさり大統領になってしまった。

ヒラリー・クリントンは、あらゆる紛争地からの米軍の即時撤退を宣言し、イラクとイランからアメリカ軍を全員召還してしまった。イギリス軍もまったく同時にイラクから撤退してしまった。この時だった。残った日本の自衛隊に、ゲリラ攻撃が一斉になされた。1万人の自衛隊員が死傷し、武器や弾薬がそっくり何者かによって奪われてしまったのだ。

国連はこの事態に機敏に対応し、フランス、ドイツ、オランダの各軍が残った日本の自衛隊員を命をかけて救出したのだった。(つづく

2003年12月10日