「エ・アロールとは、かつてフランスのミッテラン大統領が、新聞記者の質問を受けたときに答えた言葉です。当時、大統領には妻以外の女性との間に子供がいて、そのことを知った記者たちが、その真偽について訪ねました。それに対して大統領は、『エ・アロール(et alors)、それがどうしたの?』と一言つぶやいただけで、記者たちはそれ以上、追求はしませんでした。」(渡辺淳一著「エ・アロールそれがどうしたの」角川書店版より)

フランスでは、個人主義の観点から記者がそれ以上の質問をしなかったが、日本では権力の重圧で質問されなかった事がある。田中角栄の隠し子だ。田中角栄には佐藤昭さんという私設秘書の女性がいて、ロッキード事件以来金庫番の佐藤昭と呼び捨てにされたことから、本人が「ささやかな抵抗」で佐藤昭子と改名した。

日本の議員は角界の「おかみさん」同様、夫婦が一対となって選挙活動や政治家活動をする。田中角栄はその中で珍しく夫人を外に出したがらない政治家だった。そのため、夫人の資料を私は拾い上げることができない。

1972年の総裁選が明日というとき、「お前と二人三脚でとうとうここまできたな」と田中角栄がしみじみ語った相手は佐藤昭だった。田中角栄が27歳の時、選挙活動で新潟県柏崎市の佐藤昭の自宅に来たのが出会いだった。17歳の昭は角栄にお茶を出し、「ちょびひげを生やしているから50歳ぐらいの人か」と思った。

昭は角栄の選挙活動を手伝うようになり、後に会計責任者になった。昭は二度の離婚歴があるが、一度目は夫が女性を作ったために別れ、二度目は温かい平凡な家庭を求めエリートサラリーマンと結婚したが、角栄が頭角を現し大臣を歴任するころには、エリートサラリーマンの生活が小さく単調に見えたようで、離婚している。

そのころ、娘が生まれた。田中角栄の娘だった。佐藤敦子さんという。田中角栄はこのお嬢さんを溺愛していたという。そのことを最も知っていたのは佐藤昭だが、田中真紀子も違う思いで知り抜いていたはずだ。田中角栄は佐藤昭との肉体関係でその信頼感を深め、金のことは一切佐藤昭に任せた。「越山会の女王」と呼ばれた。田中角栄には他に二人の隠し子がいる。神楽坂の芸者との間に生まれた男の子だ。田中真紀子はこの点ではとがめなかったようだが、越山会の会計責任者との不倫の子については父を許さなかったようだ。

田中真紀子は父親がつくった自民党を「The 自由民主党」と呼び、その自民党を改革できるのは自分しかいないと叫び、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶ小泉純一郎を暗にできるはずがないとさげすんでいる。

父親の存在がそういう田中真紀子を作り上げているのだが、私生活では、そう言って父親の政治行動を受け継ごうとすることが、自分こそが父親の子供なのだと存在を証明できる道具になっている。


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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2003

参考サイト:

真相は「淋しき越山会の女王」

「私の田中角栄日記」書評

田中角栄入門