7月17日イギリスのブレア首相はアメリカの議会で演説し、翌日日本を訪れた。
暑い東京を離れ、小泉首相は箱根プリンスホテルの本館前でブレア首相夫妻を迎えた。夕暮れ時の龍宮殿新館で首脳会談を行った。本館に戻り7時半、両首相は共同記者会見を行った。イラク戦争の勝ち組会見のはずだった。
ところが、イギリスの記者はブレア首相に対し「ケリー氏の自殺で首相を辞任するつもりはないのか」の集中砲火を浴びせた。実は、アメリカから日本に来る途中の飛行機で、ケリー氏が自殺したとの情報がブレア首相のもとに飛び込んだ。日本に到着するとすぐに「司法調査委員会」を設置し事件の究明を行うと発表した。
ケリー氏は時の人だった。イラクへの参戦時、イギリス議会では与党で反対の声が多かった。『官邸』はそれを跳ね除けるように、「イラクは45分で大量破壊兵器を配備できる」能力があるとイラクの脅威を報告した。ところが、戦争が山を越えた後、それは間違った情報だと内部告発があり、イギリスのBBCがこれを報道した。
これが一大論争に発展し、ブレア首相は国民を欺いたと窮地に立たされた。そこで、その報道が本当かどうかの論争が同時に発展した。BBC側はニュースソースは明らかにできないと主張する中、生物・化学兵器に関する国防相の顧問だったケリー氏に世間の目が集中した。7月15日、イギリス下院の外交委員会でケリー氏は長い時間追求された。ついに、Yesと言わないまま、18日自殺した。政府とBBCとの板ばさみから逃れる自殺だった。
イギリスは今、イラク参戦批判がブレア首相に集中し、首相は辞任の危機に瀕している。
ブレアは、オックスフォード大学出身のエリートだが、在学中は『ライオンカット』の長髪でロックバンドを率いていた。卒業後すぐに労働党に入り、30歳で下院議員に初当選した。当時の労働党首にかわいがられ、影の内閣で要職に就いた。41歳で野党労働党の党首になった。これまでの労働党のやり方だったストライキや国有化推進を『ぶっ壊し』、「ニュー労働党」をスローガンに掲げた。
この政策転換が『無党派層』(中間層)に受け、659議席のうち419議席を取る圧勝で、サッチャーからメージャーまで続いた保守政権を覆し、首相になった。
当時のEU参加問題は、国民の多くが反対していたので棚に上げし、国営医療制度改革や教育改革を前面に打ち出し、若者と女性の人気に支えられ、政策立案に若手を起用し、『官邸主導型』の政治運営を取り入れ、地方分権を推進し、スコットランドとウェールズに議会と自治政府を新設した。
この勢いで、香港の返還式に臨み、翌年には訪中し関係強化を図った。夫人が第4子を出産し、152年ぶりに現職首相の赤ちゃんを目の当たりにした国民の人気はうなぎ登り、2週間の育児休暇を取ったもんだから話題沸騰だった。
当然のように次の総選挙も圧勝し、第二期政権を担当。経済が好転し、債務を抑制したため、財政黒字になった。このため、緊縮財政の犠牲になっていた医療や教育、交通面に力を入れた。
この人気は国際舞台にも生かされ、9.11の時にはアメリカが「報復」としたアフガニスタンへの攻撃について、国際的な支持を取り付けたのはブレア首相だった。同時に多くのイギリス兵も派兵した。
イラク攻撃はこの流れだった。ところが、これが落とし穴になり人気は落ち始めている。小泉首相を「ラッキーな首相」と呼ぶようになった。アメリカのイラク戦争支持を一番に表明しながら国民から槍玉に上らないからだ。
箱根での温泉会談で小泉首相はブレア首相を最大限持ち上げた。アメリカとともに戦った勇気と正義を賞賛し、日本もともに歩むと何度も同調した。しかし、いつ自衛隊を派遣するのかと聞くと返事は無く、ブレアは空虚だった。
先月末、ブレア首相の首相官邸情報戦略局長が辞任した。キャンベル氏で、イギリスの大衆紙出身のやり手だった。ブレア首相のスピーチも巧みに仕上げ、マスコミに圧力をかける一方世論を有利に形成したと言われ、陰の首相と恐れられた。ブレア首相のケリー氏に関する証言をめぐる報道に圧力をかけた疑惑が、辞任のきっかけと噂されている。
ブッシュ大統領はブレア首相激励のため、11月19日から21日までイギリスを訪問する。
注:文中の『 』内は、小泉首相との比較を意識して岸田コラムが勝手に呼んだものです。
参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2003
参考サイト:
産経新聞