日本の会社が今後間違いなく厳しく指摘される問題がある。コンプライアンスだ。
complianceは英語で命令などに従うことだが、ビジネス界では「法令順守」と訳されている。法律を守るということなら、何もよほどの事がない限りみんな守っていると思うかもしれないが、そんなことはない。日本の会社は法律を守って事業を行うことに対してまったく無頓着だ。
もし、交通違反で捕まった社員が首になったら、どっちを責めるだろうか。捕まった社員だろうか、首にした会社だろうか。こんなことは、日本の会社では考えもしないことだが、コンプライアンスが会長から社員の隅々まで染み渡った世界的な医療医薬メーカーJohnson&Johnson(バンドエイドで有名)では即刻解雇の対象となる。
日本の会社は、立派な経営理念を掲げるがそれをどうやって遂行していくかを語ることはしない。例えば、ある日本を代表する生命保険会社が、100周年にあたり「社会に、お客さまに、第一に選ばれつづける私たちでありたい。今、あらためて宣言します。『すべては、お客様と共に』これが私たち○○生命の100年目の約束です。」とホームページトップに謳っている。
これは、会社の基本理念だと思うが、どうやってこの理念を実行していくかの具体的行動指針は示されていない。「社会とお客に選ばれるために」努力している会社では、社会に反する行動は取れないはずだ。つまり法律違反はできない。違反しないように、会社の体制をどう整えているのかの記述がコンプライアンスの概念からするとほしいところだ。ところが、お客や入社希望者、株主の方もそういう期待を会社に求めていないから、企業の方もわざわざ表明しようとはしない。
日本の会社は、そんな風土のために企業犯罪が多い。経営者が利益も上がっていないのに責任を逃れるために粉飾決算をして株主に不当に配当したり(商法290条)、それを監査役が承知で見逃したり(商法281条他)、社長が会社の金を担保も取らずに誰かに貸したり(商法)、業界に先駆けて売り出す商品の発売前に自社の株式を購入したり(証券取引法)、金を貸した取立てを午後8時以降も行ったり(貸金業法)、外国送金を銀行を通さず現地の知り合いに依頼したり(外為法)、ブランド物をコピーしたり(知的所有権関連法)などは、行う方も犯罪として意識している。
犯罪意識のないものは、節税と称して取引先のゴルフの接待に使った交通費を旅費交通費で経費算入したり(法人税法)、社員の採用面接でお父さんの職業を聞いたり(労働基準法第3条)、仲間の会社(同業他社)と売値を合わせたり(独占禁止法)、お中元用のビール券をポケットに入れたり、会社の切手で懸賞応募したり(刑法252条)、上司が挨拶代わりと称して女性社員のお尻を触ったり、社内の宴会で女性社員にお酌を強要したり(男女雇用機会均等法、民法)などは、恒常的に行われている。
日本の会社でこれらの犯罪を社員が当局に密告したら、当然のことのように「犯人」探しが行われ、その「容疑者」は間違いなく会社を追われる目にあう。
日産のゴーンさんは改革を軌道に乗せた後の今年4月、朝日新聞のインタビューで日本的経営について応えている。年功序列は問題あるが、「企業や同僚に対する忠誠心は極めて高貴な日本の習慣だ」。恐らく、この忠誠心がなければこんなに早く改革は進まなかったと思っただろうし、他の国にはない素晴らしさだと称えたのだと思う。
しかし、日本の企業にコンプライアンスを求めた時、もっとも弊害になるのがこの企業や同僚に対する忠誠心だ。企業犯罪のほとんどが「会社のためにやった」ことや、「同僚をかばうために指摘できなかった」など忠誠心が裏目に出ている。社会や家庭に対する善良な忠誠心より企業に対する忠誠心の方が強いからだ。
会社のためには何でもやる企業戦士を試すように上司は部下に難題を吹きかける。方法は問わない。結果だけを求める悪い風土だ。これが最終的には企業の利益に反するのだということを知るまでには、もう少し時間がかかるが、日本企業のグローバル化は一流企業ばかりではなく、町の会社にも及んでいる。コンプライアンスは日本の風土に合わないと言われながらも、確実に導入が迫られている。
「法律を守ります」だけを宣言するのではコンプライアンスにならない。いかに守り、全経営者と全社員がどのような体制でこの問題に取り組んでいるかを常に表明している企業姿勢が必要だ。コンプライアンス、日本の改革のためにはなくてはならないものだ。
参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2003
参考サイト: